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大井氏館

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城名:大井氏館
別名:―
城主:大井氏
住所:埼玉県ふじみ野市大井(徳性寺を含む東側一帯)
遺構:大井戸・五輪塔?・弘安の板碑?

「埼玉の遺跡マップ」では、「大井氏館跡」と称し、住所は入間郡大井町大井、苗間。
種別は集落跡・墓・城館跡。時代は旧石器・縄文・縄文前期・平安・鎌倉・南北朝・室町・戦国・江戸時代。遺構概要は中世期の建物跡・柱跡・土坑・井戸・溝としています。
もう少し解説しますと、大井954番地1の徳性寺を含めて、川越街道(国道254号線)を挟んだ東側一帯(現トヨタ販売店)を館跡としています。

「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」では、所在地を大井東台、東原としています。戦国時代の館だそうです。遺構は堀。別名東原遺跡。

つまり、東原遺跡は正しくは東台遺跡。東原遺跡は誤記の可能性があり、縄文、縄文中期、戦国時代の集落跡。館跡の東側です。
本村遺跡は館跡の北東側、縄文、縄文中期、南北朝、戦国時代の集落跡。中世期の井戸跡、溝、土壙墓、土塁の一部が確認されています。館跡の北東側です。

「埼玉の館城跡」では、場所が特定できませんでした。しかし、館跡左側に鎌倉街道が通る写真が掲載されています。
地元の方に伺ったところ、大井氏館跡の東側に鎌倉街道があったそうで、決してハズレではないようですが・・・

まずは、大井氏館の推定地内西側の徳性寺へ。
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案内板は3つあります。
「徳性寺
天台宗天龍山本乗院徳性寺は、川越市古谷の灌頂院の末寺で、伝承によれば、今から450年程前の室町時代、秀山律師により開かれたという。一時、寺勢が衰えたものの、江戸時代前期、第14世祐円和尚(万治3年・1660年没)により中興された。明治14年(1881年)1月16日の大井町の大火により本堂・庫裏などの建造物と共に当時の歴史を記した記録も失われてしまった。
(略)
本尊は、室町時代のものと考えられる阿弥陀三尊像である。本堂には江戸時代初期に大井を領地とした旗本の米津彦七郎(過去帳には彦七とある)の位牌(天和2年・1682没)の位牌が祀られている。また本堂裏手の墓地には歴代住職の墓塔のほか、元和9年(1623)銘の五輪塔(新井家墓地)があり、寺の歴史の古さを今に伝えている。
山門は大火の後の明治25年(1892)に移築されたもので、川越の南院(廃寺)のものとも川越城の遺構であるとも言われている。
(以下略)
平成13年11月
ふじみ野市教育委員会
ふじみ野市文化財保護審議会」
と記されています。

あれ?大井氏の話題は?
境内にある弘安(鎌倉時代)の板碑がヒント!?
鎌倉街道と伝えられる古道に面した「坂上の石塔畑」(東台)から移されたそうです。
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国道を渡って旧大井町の名称の由来の地、「大井戸」へ。
大井氏の話題が記されていました!
案内板は2つ。大井戸跡と復元大井戸です。
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「大井戸跡
武蔵野台地は、地下水が低いため、往時の旅人や、定住しようとした住民にとっては、水が得られず苦しみました。
(略)
元禄9年(1696)の大井郷田畑水帳には、川越街道・古道(鎌倉街道)と砂川堀とに囲まれた三角形の、この低い台地を「おい戸」「おいと」と記されています。
(略)
1975年に「オ井ド」の三角形の地を発掘調査したところ果たせるかな、井戸の遺構が見つかり、井筒の底から須恵器片が出土したことから平安時代に造られたことがわかりました。
(略)
当地方の中で井戸の尊称としての「オ井ド」が転訛して大井戸となったと思われます。
井戸の北西50メートルのところには水神様と呼ばれていた神明社が祀られていました。村の人々に潤いを与えた「オ井ド」は、元禄期にはすでに廃井戸となり埋められてしまったことが水帳からわかります。
平安時代の末に武蔵七党・村山党の頼任の孫の家綱が、大井氏を名乗ります。その姓もこの井戸に由来するものです。
平成12年10月
ふじみ野市教育委員会
ふじみ野市文化財保護審議会」
と記されています。

「復元大井戸
大井戸跡は昭和50年3月に発掘された。発掘された井戸は現地表面から約3メートル下の立川砂礫層を掘り込んで、底面は岩盤に達していた。
(略)
この施設遺構は水汲み、洗い場その他の便宜や井筒の保護及び、戻り水防止の目的を兼ねていたと思われる。また、神明社(水神様)が北に存在したことなどから、水汲みの通路は北側へとのびていたと考えられる。
この大井戸付近は、市内でも最も古くから開かれたところで、南の台地からは旧石器時代の石器、また北側の低位台地からは町内最古の石器群も確認されている。鎌倉時代に大井氏が存在したのもこの周辺で、付近には荒墾(あらく)・風田(ふうでん)・現入(げんにゅう)などという地名も残り、往時をしのばせてくれる。現在の井戸は地権者の御協力により原形に忠実に復元したものである。
平成5年3月
埼玉県
ふじみ野市」
と記されています。
大井氏が存在したのが、この周辺と記されてしまうとは!

大井戸は、大井氏館跡推定地内南側です。大井氏関連の立派な遺構と考えて良いでしょう。
水の確保に配慮したであろう大井氏のことを考えると、「埼玉の遺跡マップ」が指摘する「大井氏館」が最有力推定地かと思うのですが・・・

付近には城館跡の五輪山、徳性寺の伝川越城移築城門、織部塚、塔中場、見どころが多いのでお見逃しないよう。
地図はこちら
by ckk12850 | 2008-12-13 07:30 | ふじみ野市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助