三方原古戦場

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名称:三方原古戦場(三方ヶ原古戦場)
住所:静岡県浜松市北区根洗町

まさかこんなところに石碑があるとは!
三方原霊園(三方原墓園)の駐車場にあります。
「三方原古戦場 徳川恒孝」と刻まれた石碑です。

解説板もありました。
「元亀3年(1572年)12月22日、徳川家康は武田信玄の上洛を阻止せんと、武田軍およそ2万5千の勢力に対し徳川軍は、およそ1万5千の勢力を以って戦いを挑み、戦闘約2時間といわれるも、結果は大敗に終った。
これが三方原合戦である。
戦いが展開されたのは、この三方原台地であるがそのところは定かでない。
われわれは、この三方原の一角に、この碑を建て、その歴史の場を永く後世に伝えようとするものである。
昭和59年7月吉日
三方原歴史文化保存会有志」

周囲を見渡しましたが、武田軍の魚麟の陣、徳川軍の鶴翼の陣、想像ができませんでした・・・
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三方原古戦場の石碑は国道257号線沿いにあるのですが、北へ向かうと「旧祝田坂の碑」と「根洗いの松の碑」があるそうです。見逃した・・・

合戦の様子は、インターネットで「三方ヶ原の合戦」と検索してみると良いでしょう。
後世、着色された部分もありそうで、有名な戦いでありながら謎が多いのも事実です。
個人的には新田次郎作の風林火山に描かれている合戦の様子が一番興味を持って読めると思います。

最も客観的な戦いの様子は小和田哲男著「武田信玄」でしょうか。
武田信玄軍は2万5千、徳川家康は織田の援軍3千を加えて1万1千。
浜松城を目指して南下してきたはずの武田軍が有玉で急に向きを西に変え、欠下あたりから三方ヶ原の台地に登り始め、三河に向かって進軍を始めました。
徳川軍は武田軍が三方ヶ原を突っ切り、祝田の坂を下るであろう時間を見計らって浜松城から出陣しました。ところが三方ヶ原には坂を下り始めていると思った武田軍が待ち構えていました。
結果は数に勝る武田軍が勝利。家康は「まん丸に成て除せ給う」(三河物語)という有様で命からがら浜松城に逃げ帰っています。

改めて地図を確認すれば、あまりにも浜松城近くの戦いであったことに驚かされます。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2009-04-12 17:30 | 古戦場【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助