大築城(ときがわ町椚平)

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城名:大築城(大津久城)
別名:城山
城主:上田朝直?
住所:埼玉県比企郡ときがわ町大字西平字大築・入間郡越生町麦原字城山
遺構:土塁・空堀・復元大木戸

この城へは2つの登山口があります。
越生町麦原から入るコースは訪問済み。

今回はときがわ町椚平から訪問です。
県道大野東松山線(172号線)の宿交差点を南に向かいます。ちなみに北へ向かうと慈光寺です。

宮川橋を渡って右方面へ。続いて清水橋を渡って氷川沿いに走ります。
間もなく大木戸へ。
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「椚平入口」のバス停もありますので迷わないと思います。
ここに復元大木戸が!さすが「木のむら都幾川」です。
案内板があります。それから地域の観光案内板もあります。地名も記されているので写真を撮っておくと便利です。
「大木戸の由来
南方にそびえる大築山(大津久山)に戦国時代、松山城主上田朝直(案独斎)が出城を築いたといわれ、防備のための空堀や郭跡などが今も残っている。
当時この街道を往来する者を監視するため、大木戸がおかれたと伝わっている。」
残念なことは、川に向かって木戸が構えられていることですが、本来は街道を封鎖する形で構えられていたのでしょう。
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でも復元した方々に拍手!
地図はこちら

大木戸はY字路。ここから左に向かいます。川の名前は「泉沢川」または「泉川」になっているようです。
「ぶな峠」方面に向かいますが、川に沿ってしばらく進むと「カラ沢」に到着。「大築城跡方面」の標識もありますし、橋も見えます。
地図はこちら

ここから比高150mの徒歩。
橋を渡ります。
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続いて「越せん岩」の脇を通ります。ガレ場かな・・・
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岩の上周辺は突端部となっていて、猿岩峠から一段下に構えた絶好の物見だったと思われます。
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6~7分で猿岩峠へ。「麦原部落1km、椚平1km、硯水0.7km、馬場1.7km、城山0.3km」の表示も健在。

猿岩峠までの登山道整備はパーフェクト。
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熊が出ないような対策をしましたが、漆の葉に気をつける程度で大丈夫でした。
大築城へのアプローチとして最も楽なコースでした。

猿岩峠から痩せ尾根を通過。「城山」の案内を無視してモロドノグルワに到着。残念ながら、「城山(大築城) 天正の頃 北条氏の上田能登守家臣 松山城主上田能登守朝直入道安独齊がこの地に塁を築き守備兵を置く 標高440m」の案内板が消えていました。休憩スペースも荒れ気味。

さて城山方面へ前進。堀切を再確認。
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今回のチェックポイントは「小口郭」前にある「小口前郭」です。なかなか見られない構造です。
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本郭は実測図付きの案内板が設置されています。
「大築城跡(おおづくじょうあと)
この城跡は、本郭が標高465メートルの地にあり、周囲の斜面には郭やそれを結ぶ通路、防備のための空堀などが残つており、中世の山城としては県内でも有数の規模と遺構を誇るものである。
大築城は、小田原北条氏の家臣、松山城主上田朝直が一山75坊を有し関東屈指の大寺院であった天台宗関東別院慈光寺を攻略するに際して築城し、北方5キロメートルに望む慈光寺を焼き討ちしたものと考えられている。
なお、この山の周辺には、遠見、馬場、硯水、大木戸、モロドノクルワなどの地名が残っている。
平成6年3月
都幾川村
都幾川村教育委員会」
と記されています。
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今回の訪問で、大手口はときがわ町方面ではないか、越生町麦原、小杉は後方支援の搦手口ではないか、とも思えてしまうのです。
そして毛呂氏との関連が考えられるモロドノクルワは越生麦原~椚平、越生小杉~椚平の街道(慈光寺道)の関所(番所)として機能したように思えてなりません。
それならば、慈光寺とは正反対の斜面に構えられた、単独のモロドノクルワの存在意義がはっきりするのです。

越生町麦原から訪問した大築城も参考にどうぞ。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2009-06-18 20:50 | 比企郡ときがわ町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助