多武峯神社

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名称:多武峯神社
住所:埼玉県比企郡ときがわ町大字西平字多武峯

多武峯は「とうのみね」と読み、塔の峯とも書きます。

県道大野東松山線(172号線)の宿交差点を南に向かいます。ちなみに北へ向かうと慈光寺です。

宮川橋を渡って右方面へ。続いて清水橋を渡って氷川沿いに走ります。

しばらくすると多武峯神社・全長寺の案内板が見えます。ここを右折すると、全長寺、武藤家、少し下って多武峯神社の順に訪問することになります。
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安全圏で訪問したい、山全体の威容が見たいという方は、もう1つ先の案内板を右折すると良いでしょう。

最初に武藤家に到着してしまったので、そこから標高の高い付近を探すこと数十分。何と神社は武藤家より標高の低いところに存在しました。武藤家と神社は100mくらいしか離れていませんが、人がいないために道を尋ねる訳にもいかず・・・

まずは武藤家。案内板があります。
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「多武峯の文化財
武藤家のあるこの地域を多武峯といいます。
これは慶雲3年(706)に大和国磯城郡多武峯(奈良県桜井談山神社)から藤原鎌足の遺髪を移し、祭神として祀った多武峯大権現が始まりとされています。(略)
この神社を管理していたのが武藤家(当時、藤原姓)であり、江戸時代には慈眼坊と名乗る修験道場でした。(略)
武藤家の母屋は17世紀に建設され、護摩堂を配するなど往時の修験道場の家屋形態をよく保存しています。(以下略)
平成15年3月
都幾川村教育委員会」

ここは毛呂顕季が奉納したという鰐口があります。
「大旦那 三侶 伕村田 藤子女人」と記された文字の三侶が毛呂と読めることらしいです・・・藤子女人は顕季の妻と考えられ、天文15年(1546年)2月時世の記念銘から彼岸に際しての奉納と考えられるそうです。毛呂城(山根城)近くの妙玄寺は、顕季の妻が開祖とされています。
鰐口は記帳すれば見学は可能らしいですが・・・

続いて神社。入口に武藤家当主設置の案内板があり、川を渡ります。
やせ尾根を通り、修験道場にふさわしい絶壁の岩場の上の道を歩きますが、道幅があるためか恐怖感はありません。
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それにしても城だったら難攻不落だろうなぁ。川を越え、やせ尾根を通過し、独立峰のような岩山ですから。
そんな場所だからこそ修験道場になったのですが(汗)
3分で社殿に到着。
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ここにも都幾川村教育委員会設置の案内板があります。
現在の社殿は大正15年(1926年)の再建であること。
社殿北西側に塚があり、文亀4年(1504年)銘の五輪塔があること。
社殿は標高368mにありますが、南側が高さ九九丈といわれる断崖絶壁となっていて、その中腹には椀貸し伝説が残る「竜宮の穴」と呼ばれる横穴が残る。
以上のような内容が記されています。
塚については藤原鎌足の墓であるという伝承が残ります。

帰り道、地元の方に遭遇。竜宮の穴の所在地を伺ったのですが、決して難しい場所ではない・・・神社前の車道を下ってT字路を右へとのことですが不明でした。
多武峯神社は埼玉でトップのパワースポットだよ、と教えてくれました。竜宮の穴から運気が上に流れ、社殿を通過しているとのこと。
修験について相当詳しい方でしたが、宗派があるので何ともコメントできませんです。
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by ckk12850 | 2009-08-12 21:15 | 神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助