上杉館

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城名:上杉館
別名:深谷館・南方遺跡
城主:上杉氏憲
住所:埼玉県熊谷市千代
遺構:土塁・空堀

「埼玉の館城跡」では、大里郡江南村千代南方441の1番地に所在、安土桃山時代の館跡としています。
城主は深谷城主、上杉憲盛の子、氏憲が天正18年(1590年)に深谷落城に際して土着、姓を小久保と改め静簡院を開祖したそうです。
なお、縄張図も掲載されているのですが、区画整理があったのか、ポイントを外したのか、どうも理解できず・・・

ひとまず千代441の1番地の地図をプリントアウト。
墓地もあるようなので探せれば解決が早いかも。

最初のターゲット、441の1番地は民家でした(苦笑)
館跡域の西端になるようです。
その民家の西側にある竹藪の手前には、土塁状の遺構があります。南から北へ、途中で向きを変えて東へ延びるL字状になっています。
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耕作地用かもしれません。

たまたま民家から東側を眺めたら、大きな字で「上杉家」と書かれた墓所が!
墓誌もあり、由来について記されていました。
「天正十八年(一五九〇年)豊臣秀吉の関東攻略に対し深谷城主上杉氏憲公は、止むなく城を明け渡し、嫡男憲俊と共に信濃国大豆島(現在の長野市)に移る。
三男憲成はこの地に来りて居を構え、上杉館を築きて住し小久保氏を名乗る。氏憲公もまた後に、信濃より此の地に来り寛永十四年(一六三七年)正月二十二日卒す。
上杉家は代々氏憲公を祖として崇敬し、爾来凡そ四百年連綿として今日に至る。(以下略)」
決して観光地ではありませんので失礼がありませんよう。

遺構については「埼玉の館城跡」どおりに探せば謎でしたが、中田正光著「埼玉の古城址」には縄張図が掲載されています。
どうやら墓所の東側に遺構が残るようで・・・

ありました!
竹林の手入れがされているので、遺構がはっきり確認できました。
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南北に貫く土塁と空堀。長さ50m程度、土塁の高さ1mから2m、堀の深さ1mから1.5mくらいでしょうか。
空堀の東側に民家がありますが、この家のための構えではなさそうです。

ちなみに北側にも空堀がありましたが、深さ数十cm。遺構かどうか不明です。
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館跡推定域の西から東に向かって、謎の土塁、道路、上杉家墓所、土塁、空堀の順に遺構があることになります。
帰り際、立入禁止の看板に気が付きました。タケノコの季節は要注意。シーズン以外でも私有地は要注意です。

「埼玉の遺跡マップ」では、南方遺跡と称し、遺構概要は住居跡3軒、井戸、堀、土塁。遺物概要は撚紋土器、勝坂式土器、板碑、陶磁器と記されています。
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by ckk12850 | 2010-09-01 07:50 | 熊谷市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助