足立遠元館(さいたま市・小島勘太夫屋敷)

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城名:足立遠元館(小島勘太夫屋敷)
別名:足立遠元屋敷・足立館・あたち殿の御屋敷
城主:足立遠元?・小島勘太夫
住所:埼玉県さいたま市西区植田谷本
遺構:用水路・クスノキ

「埼玉の館城跡」では、治承年間の足立右馬允遠元の館としています。
問題は次の一文。
>小島勘太夫は旧植田谷村の名主で、足立遠元の系譜をひく家といわれ、江戸初頭まで中世名主の如き権利を保有していた。館跡はもと同家の屋敷内に包含され、「あたち殿の御屋敷」と呼ばれていたという。

鴨川に架かる藤橋の右岸、六部堂の西側一帯が足立遠元館とされています。
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広さが1ヘクタールあるとか!
ここが第1の館跡推定地です。

新編武蔵風土記稿では、小島勘太夫の屋敷地を館跡と推定しています。
第2の館跡推定地です。
小島勘太夫の屋敷地ですが、植水小学校の南にあります。市指定天然記念物「植田谷本のクスノキ」が目印です。
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標柱があり、「大宮市指定文化財 小島勘太夫家文書 植田谷本のクスノキ」と記されています。

屋敷には、現在も子孫の方がお住まいです。
雨の日の訪問ながら屋敷内を案内して頂きました。

稲荷神社がありますが、これは六部堂の西側一帯にあった神社を移転したそうです。
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また、「あたち殿の御屋敷」と呼ばれているかどうか伺ったところ、六部堂の西側一帯のことだそうです。
この回答は想定外。やはり近世の小島勘太夫屋敷になってしまうのでしょうか・・・

屋敷地の北側は、植水小学校になっていますが、水堀の名残と思われる用水が流れていました。
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屋敷地の東側は竹林となっていますが、遺構らしきものは見当たらず。
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また、かつては広大な屋敷地だったようで、六部堂の西側一帯と小島勘太夫の屋敷地は同じ屋敷地内であった可能性があり、決して新編武蔵風土記稿の記述がハズレではないというのが自分なりの結論です。
広さ1ヘクタールだし!

参考までに桶川市の伝足立右馬允遠元館三ツ木城神明1丁目の諏訪雷電神社の3か所も推定地とされています。
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by ckk12850 | 2010-12-01 12:05 | さいたま市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助