淨空院(浄空院)

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城名:淨空院(浄空院)
別名:菅沼氏陣屋?
城主:菅沼氏
住所:埼玉県東松山市上唐子679番地
遺構:?

旗本菅沼氏の菩提寺です。
菅沼一族の墓所があるということは、近くに陣屋、代官所等のような領地、墓所等を管理する施設があった可能性があります。しかし、江戸に屋敷を持ち、本領に菩提寺を持つケースも多いことから寺院として訪問しました。
目印は丸木美術館。広大な寺院にビックリ!

山門前に昭和55年に設置された案内板があります。
気になる点を要約。
「淨空院は応和2年(962年)、天台宗の慈恵大師が法養寺として開き、元亀・天正の頃禅宗に改宗、その後、文禄2年(1593年)、徳川家康譜代の旗本菅沼越後守定吉が開祖となって大高山本通寺浄空禅院と改め、現在の諸堂の建立がなされた。」

本堂、庫裏、禅堂、裏門は必見。特に庫裏の奥の書院等には、禅寺には珍しい武者隠しの備えがあるそうです。
ちょっと城気分。

さて、菅沼家墓所は本堂裏にあります。
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「市指定考古資料 菅沼氏一族の墓」の標柱があり、案内板もあります。
「菅沼氏一族の墓
(略)
室町時代三河の豪族菅沼一族は、島田、田峯、野田、長篠の四家があったが、いづれも始祖を資長とする同族で、浄空院を菩提寺とする菅沼家は、このうち田峯の菅沼家です。定氏、その子定吉のとき、家康とともに関東へ来た幕臣の旗本ですが、定吉公はこの唐子の地が菅沼家領地の中心で、江戸城との交通の要所でもあり、また法養寺のあった事などから、この地に菩提寺を建立したのです。
家康とともに江戸城に入った定吉公は家康より采地(領地)三〇五〇石を給わり、そののち大御番の頭となった。二代定俊の時采地を長兄定政と弟定勝(うち一〇二〇石)に分けたが、同じ田峯の菅沼として菩提寺は浄空院を代々の墓地としました。
(以下系図)」

初代定吉の墓が最も大きく立派。しかもセンターキープ!
その後、24代までの墓石が並んでいます。

寺の周辺は雑木林に囲まれ、南に向かった緩斜面となっています。都幾川が流れているので、河岸段丘に構えられた寺院なのでしょう。
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北側は川が流れ、堀のような役割があったのかもしれません。

裏門を探してみましたが、予想していた北側ではなく、東側に構えられていました。

禅堂も昭和43年に改修されたものの、落ち着いた雰囲気が漂っています。
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限りなく城(陣屋)のような、しかし陣屋とするには決定打もなく・・・
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by ckk12850 | 2012-05-01 06:00 | 東松山市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助