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三ツ木城

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城名:三ツ木城
別名:―
城主:足立右馬允遠元?・石井丹後守
住所:埼玉県桶川市川田谷字城山・城山公園
遺構:土塁・空堀

荒川沿い左岸の川田谷という集落の中にある城跡です。
現在、城山公園として整備されており、休日になると、各種運動場、アスレチック、子供の広場、プールが整備されているので、憩いの場となっています。
公園内には城跡を示す案内板が設置されています。しかし、この看板を読んでいた人はいませんでした。確かに公園が目的で来ているのですから・・・

城そのものは、この城山公園に突き出た台地上にあり、公園はその下の低地(湿地帯)であったと思われます。これは、城全体の東、西、北を囲んでいたものです。
また、城全体(郭)は、南方を底辺とし、北方を頂点とする三角形の形をしており、非常に珍しい郭の形といえます。
東西120m、南北110mの単郭式の城、すなわち本丸のみの城と考えられています。
城には、二重の土塁が認められ、その土塁の間には、水堀があります。
また、城跡の南西隅と、土塁内側の北は、土塁が広く高いので、物見櫓があったものと考えられています。
三ツ木城_c0051112_11321952.jpg

大手口であったと思われる南側は、土塁のみが認められますが、かつては深い堀があったのではないかと予想されています。

城主については、鎌倉時代、源頼朝に仕えた足立右馬允遠元とする説、あるいは室町時代、岩槻城の太田氏に仕えた石井丹後守とする説がありますが、定かでありません。近年の研究では1300年代の城と想像されています。

足立右馬允遠元の館跡伝承地は、三ツ木城の他、桶川市内の伝足立右馬允遠元館神明1丁目の諏訪雷電神社があります。
さいたま市にも足立遠元館小島勘太夫屋敷があるので混乱してしまいます。

恐らく、小田原北条氏支配化時代には、重要視されていなかったのではないかと思うのです。立地条件は揃っているものの、近隣には川越城松山城菖蒲城騎西城の真ん中に位置していました。砦、あるいは繋ぎの城としての役割だったのではないでしょうか。

昭和44年、県選定の重要遺跡になっています。
by ckk12850 | 2005-08-16 21:20 | 桶川市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助