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伝伊東祐親墓所

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名称:伝伊東祐親墓所
住所:静岡県伊東市大原

何とカーナビに表示。
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地面に案内板がありました。
伝伊東祐親墓所
頼朝挙兵に際し、平氏側に味方した伊東祐親は、補われの身となり、寿永元年(1182年)2月14日、相模三浦郡に在った娘婿、三浦義澄の邸内で自害したとされています。
その祐親の墓所とされているのがこの塚です。
五輪塔の水輪にみられる納骨孔は希少な例証であり、また地輪に残された種字の薬研彫りは鎌倉初期の手法を伝えるものです。
昭和54年9月29日指定
伊東市教育委員会

歌碑もありました。
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三笠山 さしてまもれる めぐみをば ゆくすえまでも 猶(なお)たのまなん 祐親

伊東氏の館跡は、伊東市役所隣りの物見塚公園説が有力です。
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記念碑もあります。
物見塚公園
伝伊東家館跡と物見の松
伊東を発祥の地として全国に広がった伊東氏は、平安時代末期に、ここに住みついた藤原南家工藤氏に始まるといわれます。曽我兄弟の祖父伊東祐親の二代前、伊東家次が初代と考えられています。伊東家は、以後鎌倉時代をへて戦国時代末期まで長い間この地とかかわりがあったので、伊東家館跡の伝承地は幾つかあります。
この高台の一角にある物見塚に、物見の松と伝承される老松があり、この場所があり、この場所は伊東家館跡と伝承されて来ました。現在は物見塚公園となり、馬上姿の伊東祐親像が置かれています。永くその姿を誇ってきた物見の松は、昭和五十七年に枯死し、現在はその塚の上に小さな三代目の松が植えられています。
この高台のふもとにある仏光寺も、鎌倉時代の伊東の地頭であった伊東八郎左衛門尉の屋敷跡と伝承されています。

なぜ、こんな場所に伊東祐親の墓所があるのか不思議ですが、物見塚公園との距離は300m。
もしかすると物見塚公園は広大で、墓所も館域に含まれていたのかもしれません。
地図はこちら
by ckk12850 | 2017-04-10 07:00 | 古墳・墓【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助