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戸神の代官屋敷

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城名:戸神の代官屋敷
別名:―
城主:宮崎家
住所:埼玉県入間郡越生町大字龍ヶ谷字戸神120番地
遺構:家屋・平場

偶然、戸神集落の西端の龍穏寺に向かう道沿いにありました。恐らく、このルートが江戸期頃までの道かと。
「代官屋敷」の案内表示があったので立ち寄ってみました。距離は45m、もう1か所の入口は60m。
戸神の代官屋敷_c0051112_1023190.jpg

すぐに屋敷が見えます。

案内板が設置されていました。
戸神の代官屋敷
越生町大字龍ヶ谷字戸神120番地
ここは龍穏寺の寺代官を務めていた宮崎家の屋敷跡である。
室町時代の名将、太田道真、道灌父子の中興になる龍穏寺は、江戸時代、下野大中寺、下総総寧寺とともに幕府から関三刹に任ぜられ、全国の曹洞宗寺院を統制していた。
当時の龍ヶ谷村は全村が龍穏寺の所領で、江戸詰めの住職に代わって寺領を差配し、名主を世襲していたのが宮崎家である。
母屋は桁行十間、梁行四間半で建坪は四十五坪以上ある。正面に庭園を臨む式台を構えた玄関が、権勢をふるった「戸神のお代官」の往時を偲ばせる。
また、大黒柱には、慶応2年(1866)に起きた武州一揆(名栗騒動)の際につけられた傷跡が残っている。
平成18年12月20日
越生町教育委員会

母屋がほぼ完全に残っているとは驚きです。
戸神の代官屋敷_c0051112_10231587.jpg

庭も面影が残っています。最近まで宮崎家の方が住んでいたのでしょうか、それとも保全に力を入れているのでしょうか。思ったより手入れが行き届いています。

平場も複数あり、蔵等の建造物があったことが想定できます。
また、井戸跡もあります。

ここから龍穏寺までは低いとはいえ峠を越えなければならず、寺領と寺代官の微妙な関係が見受けられるような・・・

それから、城郭資料等にこの屋敷が記載されていない点が気になります。しかし、ゼンリンの「いつもNAVI」に掲載されています。
地図はこちら
by ckk12850 | 2017-08-01 07:00 | 入間郡越生町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助