補陀岩・宝篋印塔(越生町)

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名称:補陀岩・宝篋印塔
住所:埼玉県入間郡越生町大字龍ヶ谷
越生の梅林を通り過ぎ、黒山三滝、顔振峠方面に向かうと「龍穏寺」という観光案内標識が出ています。
龍穏寺は太田道真、道灌父子ゆかりの地として有名です。

案内板で予習を。
龍穏寺
所在地 越生町大字龍ヶ谷
龍穏寺は永享の頃(1429~1441)に将軍足利義政が上杉持朝に命じて尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊をとむらうために創立したものといわれている。しかし、その後兵火にかかったので、文明4年(1472)に太田道真、道灌父子によって再び建て直された。
天正18年(1590)には豊臣秀吉から御朱印百石を受け、次いで慶長17年(1612)には徳川幕府から曹洞宗関東三か寺を命ぜられ、国内23か国の曹洞宗の寺院の世話をした。また、江戸に寺地を賜わり住職はそこに常在して公務を勤めたという。
宝暦2年(1752)に火災によって堂塔を焼失し、天保12年(1842)に再建した。しかしながら大正2年の火災によって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し、現在ある本堂は戦後再建したものである。
昭和58年3月
埼玉県

さて、補陀岩と宝篋印塔ですが、寺の門前の龍ヶ谷大橋の近くにあります。
大きな岩の上に宝篋印塔があります。

案内板も設置されています。
補陀岩・宝篋印塔
補陀(ほだ)は補陀落(ふだらく)と同意語と思われる。これは古代サンスクリット語で「観世音菩薩の住む霊山」を意味する。これは龍穏寺五十七世文山闡明(ぶんざんせんみょう)大和尚の時代・嘉永2年(1849年)4月に世話人宮崎利右衛門を中心とした龍穏寺の檀家で建立した、先祖の霊を祀る供養塔である。最上部から、相輪・笠・二重の塔身と蓮華座基礎構造の関東型である。塔身の四方には梵字が彫られ、四如来を表している。これだけの規模で優美なものは関東でも有数と言える。
平成26年4月吉日
龍ヶ谷地域活性化推進委員会

町、教育委員会、観光協会等が建てた案内板ではないのですね。周辺の龍ヶ谷地域活性化推進委員会の案内板より設置年が古いので、このあたりから案内板設置を始めたのでしょうか。
ハイキングコース上にあるので、飽きない工夫が見受けられます。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2017-08-15 07:00 | 埼玉県その他【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助