勝山城
2018年 02月 15日
城名:勝山城
別名:―
城主:氏家氏・芳賀氏
住所:栃木県さくら市氏家1297番地
遺構:土塁・堀
カーナビにセットしておいて、偶然通りかかったラッキーな城です。
旧氏家町、現さくら市にあり、市の指定史跡となっています。
国道4号線から入った場所に無料駐車場があり、そこで急遽予習。
城跡ではありませんが、勝山公園全体の地図がありました。
さくら市ミュージアムにも立ち寄りましたが、城に関しては情報を得られませんでした。
本郭は、大手門橋を渡ります。大手門橋右に見えるのは櫓台だそうで。
本郭は予想以上に大きく見えましたが、実は東西80m、南北70m程度。決して広い訳ではないようです。
搦手の虎口も素晴らしい。
搦手から鬼怒川が一望できました。
決して要害ではないような気もしたのですが、案内板に記された歴史がこの城の価値を物語っています。
勝山城跡時間があれば、勝山公園内の旧大島家住宅、旧手塚家板倉、旧森家長屋門にも。
勝山城は、鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長2年(1597)の廃城までおよそ300年の歴史を持っています。現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点ですが、また宇都宮氏の配下として北辺を守る役割を果たす重要な場所でした。南北朝期から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっています。その間に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られます。
現在確認されている城域は、南北450m、東西は北辺で325mあり、段丘先端部の本丸をL字に二の丸、三の丸が囲む連郭式の縄張り(城の設計をいう)が想定されます。
本丸は、内径で東西80m、南北70mの方形で一周する土塁は本丸内の高さ3~5m、堀底からは7~8mあります。本丸東側の一段低い土塁部分が大手(正面入口)で、堀内に四脚の橋が架けられていました。大手北側の櫓台が張り出して横矢掛け(侵入する敵に横から矢を射る施設)の構造を備えています。南西部の搦手(裏側入口、通用口)は土塁の折を利用した横矢掛けの施設と橋があります。
さくら市・さくら市教育委員会
地図はこちら
by ckk12850
| 2018-02-15 07:00
| 日本全国【城跡】