足利基氏館

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城名:足利基氏館
別名:足利基氏塁・足利基氏陣城・岩殿山陣城
城主:足利基氏
住所:埼玉県東松山市岩殿
遺構:土塁・空堀

東武東上線高坂駅西口を、そのまま西方面に向かいます。大東文化大学、こども動物自然公園(コアラが見られるところ)を目安に。ところでコアラって夜行性だから昼間見に行っても昼寝中。ま、県立の施設で安いからいいんですが。

塁跡は大東文化大学の登り坂の手前を右方向に外れます。「足利基氏塁跡→」と大きな標識が出ていますが、ここからが面倒。幅3mくらいの道路を通り、ゴルフ場の敷地の途切れたところが塁跡です。
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小さな看板なので見落とさないようにしてください。というか、必ず見落とします。昔は巨大な案内板があってすぐに分かったのに~。
傾斜地なので、まさかこんなところにと思ってしまうくらいの場所ですが、縄張図もありますので概要を知ることが容易でしょう。

室町幕府初代将軍、足利尊氏の次男、基氏は関東管領に任じられ、関東平定に明け暮れました。特に武蔵武士掌握のため、6年間入間川(狭山市)に拠点を構え、入間川殿と呼ばれていました。
その入間川殿、狭山市とはいいつつ、どのあたりに住んでいたか今も不明らしいです。今後調べようと思いますが、入間川陣城が有力な説です。

この塁跡は、高坂台地西の傾斜に位置し、九十九川を南掘として大きく開き、北と東西に土塁、東西に堀が残っています。東西180m、南北80mほどの規模であったようで、北面中央部の東寄りが山側に突出した形になっています。この東側の北と東の土塁の交点に物見台があったと推定されています。
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西側の土塁は道路から確認できます。
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新編武蔵風土記稿にも記されているようです。
案内板によれば1362年(通説は1369年)、反乱を起こした宇都宮氏の一族、下野(栃木県)の豪族、芳賀伊賀守高貞入道禅可が反乱を起こした「岩殿山合戦」の際の足利基氏の本陣跡といわれます。
しかし基氏は、長期滞在せずに下野へ進軍していますので、館跡ではなく塁跡とされています。恐らくは、地元豪族の館を陣として使ったのではないかと考えられています。
で、地元豪族って誰???
一部では岩殿観音と縁の深い比企氏という説・・・
そして、この地が比企判官旧地とする説があります。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2005-12-21 22:40 | 東松山市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助