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龍穏寺

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名称:龍穏寺(竜穏寺)
住所:埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452番地

越生の梅林を通り過ぎ、黒山三滝、顔振峠方面に向かうと「龍穏寺→」という観光案内標識が出ています。そこからは完全な山道。車を使わないと厳しい場所かも。

山門は鬱蒼とした林に囲まれ、昼間でも情緒があって・・・
シャッターチャンスも限られているので、何度も訪問することに(苦笑)

さて、この龍穏寺は太田道真、道灌父子ゆかりの地として有名です。
案内板で予習を。
「龍穏寺
所在地 越生町大字龍ヶ谷
龍穏寺は永享の頃(1429~1441)に将軍足利義政が上杉持朝に命じて尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊をとむらうために創立したものといわれている。しかし、その後兵火にかかったので、文明4年(1472)に太田道真、道灌父子によって再び建て直された。
天正18年(1590)には豊臣秀吉から御朱印百石を受け、次いで慶長17年(1612)には徳川幕府から曹洞宗関東三か寺を命ぜられ、国内23か国の曹洞宗の寺院の世話をした。また、江戸に寺地を賜わり住職はそこに常在して公務を勤めたという。
宝暦2年(1752)に火災によって堂塔を焼失し、天保12年(1842)に再建した。しかしながら大正2年の火災によって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し、現在ある本堂は戦後再建したものである。
昭和58年3月
埼玉県」
と記されています。

山門を通り抜けると江戸城の石があります。これは2か所ありますのでチェックを。
江戸城外濠の石として首都高速道路開設の際、間組によって外され、個人の厚意によって移されたそうです。
越生町教育委員会のお墨付き案内板が設置されていまいた。
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続いて太田道灌銅像。
うぅ、新しいデジカメだったので太田道灌の銅像に対して顔認識機能が作動してしまった(笑)
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本堂はもちろんですが、太田道真、道灌父子の墓は本堂左手の階段上にありますので見ておくと良いでしょう。
「太田道灌公墓
永享4年(1432)龍穏寺寺領三枝庵(父・太田道真の居城)に生る幼名鶴千代丸後雲崗舜徳襌師(龍穏五世)について出家道灌と号す「瑞巖主人公」の公案を受け大悟徹底す長禄元年(1457)江戸城(皇居)を築き川越城岩槻城鉢形城を修築し野戦に長じ関東雄将たり。しかるに惜むべし文明18年(1486)神奈川県伊勢原市にて謀殺される。法名香月院殿春苑道灌大居士分骨して当山に葬る
埼玉県教育委員会」
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太田道灌の墓は、神奈川県伊勢原市、洞昌院の北条早雲建立と伝わる宝篋印塔が有名です。
また、神奈川県伊勢原市、大慈寺には供養塔と位牌があり、位牌には「大慈寺殿心円道灌大居士」と記されています。

長享2年(1488年)、道灌の三回忌に道真を見舞った万里集九は、
越生古寺御鞍時
斜照吹鴉欲宿枝
忽入上方参薬石
愧非忘箸老禅師
と詠じています。

経蔵は埼玉県指定文化財です。お見逃しないように。
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問題は三枝庵の所在地ですが、龍穏寺の東、約600mの山の中腹です。
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龍穏寺の境内から、三枝庵がある山が見えました。
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私は長い間、境内の石垣段築が遺構だと思っていました(苦笑)
by ckk12850 | 2006-02-22 07:00 | 埼玉県神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助