小手指ヶ原古戦場

c0051112_1991424.jpg

名称:小手指ヶ原古戦場
住所:所沢市北野2丁目

元弘3年(1333年)5月8日、無位無官の新田義貞は、群馬県の生品明神で旗を挙げ、笠懸野~八幡荘~菅谷~将軍沢(10日)~笛吹峠~入間川~小手指ヶ原(11日)~久米川(12日)~分倍河原(15、16日)~鎌倉(18日)と攻め、22日には鎌倉の東勝寺に北条高時をはじめ一族280名あまりを自刃に追い込んでいます。15日間の行程でした。

場所が分からず苦労するかも・・・
所沢市の国道463号線所沢入間バイパス沿い、北野という地区が目印です。
国道に「小手指ヶ原交差点」がありますがハズレ。むしろ所沢市街方面から見て、入間市寄りの「誓詞橋交差点」を左折しましょう。そして200mで北野中学校(所沢市北野1735番地)が見えますので、その向かい側に案内板と石碑があります。

誓詞橋、ここも義貞伝説の地(所属した将校に忠誠を誓わせた所)です。4車線の国道に架かる小さい橋ですがチェック。
c0051112_19175079.jpg

では案内板から・・・
太平記によれば元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は鎌倉の北条高時を攻めるため、群馬県新田郡新田町生品明神で旗挙げをし、10日には入間川の北岸に到着した。
一方、鎌倉の北条方では新田方を迎え撃つため桜田貞国を将として鎌倉街道を北進し、5月11日、両軍は小手指ヶ原で激しく戦った。
しかし勝敗は決せず新田方は入間川に、北条方は久米川に退いた。
翌12日、新田方は先制攻撃をかけて久米川の陣を攻め立てたので北条方は敗れて府中の分倍河原に退いた。そして15日新田方が府中に押し寄せたところ、北条方には援軍が来たので新田勢は敗れて狭山市掘兼まで退き陣を立て直した。そして16日新田方は再び分倍河原の合戦で勝利を得、18日には藤沢市村岡で戦い、22日ついに新田方は鎌倉を攻めた。
小手指ヶ原古戦場にある白旗塚は、そのとき義貞が源氏の白旗を立てた所といい、また誓詞ヶ橋は義貞が所属した将校に忠誠を誓わせた所と伝えられている。
なお、所沢には椿峰、兜掛けの松、誓いの桜、義貞の祈願文、勢揃橋などこの合戦に関係した説話が残っている。
平成8年3月
所沢市教育委員会

と記されています。

この案内板のすぐ目の前が「白旗塚」です。
c0051112_1994598.jpg

小山になっているのですぐに分かります。山頂には、「白旗塚 浅間神社」の石碑があります。
c0051112_19155732.jpg

古戦場周辺は茶畑が多く、当時は広々とした微高地だったことが想像されます。

鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった重要な古戦場ですなあ・・・
電光石火のごとく鎌倉に攻め入った新田義貞というイメージが強いですが、実は苦労していたのですね。
地図はこちら
[PR]
by ckk12850 | 2006-03-16 07:00 | 古戦場【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助