丸山砦
2006年 05月 12日
城名:丸山砦
別名:―
城主:河越氏?・山内上杉氏?・小田原北条氏(大道寺氏)?
住所:埼玉県川越市上戸316番地1・日吉山王権現社(上戸日枝神社)
遺構:不明
神社の起源は、貞観年代860年、日吉山王権現社として創立されました。
その後、永暦元年(1160年)、後白河法皇が京都に新後白河法皇を祀ったのに伴い、河越氏が河越領を後白河法皇に寄進、以後新日吉山王権現と称しました。
上戸の日枝神社となったのは、明治元年の神仏分離令によって改称されたものです。
河越館は、この神社の東にあり、古くから河越氏と関係があったようです。
河越経重が新日吉山王権現におさめた応元年(1260年)の銅鐘は「武蔵河肥庄 新日吉山王宮 大檀那平朝臣経重」と銘があります。
現在、末広町2丁目6番地の養寿院にある有名な銅鐘です。
さて、本題。
新編武蔵風土記稿の上戸村、山王社の項に、
「この山王社の西に続く丸山というところは、砦の跡といい、この場所は草木が生い茂り、土手(土塁)、堀切の跡がある」
と記されています。
これしか史料がありません(苦笑)
河越館の砦と考えるかどうか。
残念ながら、推定地は住宅街となっていて、遺構を確認することはできません。神社敷地に土塁がありますが、神社?河越館?丸山砦?
新編武蔵風土記稿以外に記述がないので、詳細が不明です。
by ckk12850
| 2006-05-12 21:57
| 川越市【城跡】