斎藤氏館

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城名:斎藤氏館
別名:斎藤氏屋敷
城主:斎藤美濃守富長、夫人靏・斎藤氏
住所:埼玉県入間郡毛呂山町岩井1605番地
遺構:土塁・空堀

場所は東武越生線、東毛呂駅から西に向かってください。400mで東京濾過工業所の入口がありますので通過。その先、100mくらい右のところです。道路から奥に立派な長屋門が見えますので分かると思います。
ただし個人宅。見学は城主様にお断りしてからがよろしいでしょう。

新編武蔵風土記稿、平山村の項に、
「16貫228文平山長寿、16貫700文入西郡平山分善九郎・・・」
と記されていて、平山氏との関連も否定できませんが、斎藤美濃守富長、毛呂氏一族の富長夫人の靏(つる)、その子孫の館跡であろうと思われます。

毛呂山町史によると、斎藤氏の出自は三河で天文4年~5年(1535年~1536年)頃、毛呂山に移住し、堀の内に館を構えたとのことです。
斎藤氏は、松山城主上田氏に仕え、天正18年(1590年)、松山城落城とともに帰農しました。斎藤富治は、堀の内を去り、その東に屋敷を構え「平山大尽」とよばれる豪農になりました。
堀の内の旧屋敷は、子孫の分家屋敷となったそうです。

この話を裏付けるように、近所の方(村田氏一族の方)から話を1時間以上お尋ねすることができました。長!!!
「この斎藤さんは、大きな城(斎藤氏館)を持っていて、松山、鉢形の命に従い各地で戦ったそうです。何年前の話かは知らないけど教えてくれますか?
ただし、負け戦となって、この地に定住しました。しかし、間もなく東にある屋敷に移住し、やがて斎藤氏館に戻り隠居しました。斎藤氏は平山大尽と呼ばれ、埼玉県でも5本指に入る300町歩の土地持ちでした。しかし終戦後、農地解放により、徐々にその土地を減らしました。現在も斎藤さんは、居住しています。何代にもわたって、この地に伝わる話ですよ。発掘調査もしたけれど、何も出ませんでした。あなたのように調べに来てくれた方にお話しておきますよ!」
とのことです。

毛呂山町史とほぼ同じ内容、これが口伝だとは驚きです。ここまで詳細な口伝を聞いたのは初めてです。
毛呂氏がこの地の領主という話は不明でしたが・・・

後日、毛呂山町歴史民俗資料館に確認したところ、細かい歴史を教えて頂きました。ありがとうございました。

遺構は見事な形で斎藤様住居と調和していました。
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東側を除く、コの字の高い土塁が残ります。
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空堀も屋敷西側にはっきり確認できます。
また、屋敷門も見事です。さすがお大尽!
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屋敷の東側は、バラ園になっていました!!!恐らく現当主の奥方の趣味と思われ・・・
探訪当日は公開日でした。こんにちはと声を掛けられ、駐車場まで案内され・・・(苦笑)
しかし!!!私はバラ園の訪問者に紛れて土塁の写真を撮っていたのでした(笑)

この斎藤氏館といい、東にある村田和泉守館といい、現在も子孫の方がお住まいになって遺構を守り続けていらっしゃる。生きている館を実感できます。
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by ckk12850 | 2006-06-01 07:18 | 入間郡毛呂山町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助