毛呂城(山根城)

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城名:毛呂城
別名:山根城・毛呂氏陣屋・毛呂土佐守顕季陣屋
城主:毛呂土佐守顕季・毛呂顕繁
住所:埼玉県入間郡毛呂山町毛呂本郷244番地・妙玄寺近辺
遺構:土塁?・空堀?

「毛呂城」だと小田谷、長栄寺にある「毛呂氏館」と混同しそうですが、「毛呂城」は別名「山根城」といい、毛呂本郷にある城跡のことです。
名称で混乱があるかと思いますが、あえて「毛呂城」としました。
毛呂山町の幹線道路、県道飯能寄居線(県道30号線)から入れます。日高方面から見て毛呂本郷交差点の1つ北の信号を右折です。100m少しで妙玄寺に到着。
寺の先にJR八高線の線路がありますので、渡ってすぐ右(踏切脇)に石碑があります。石碑の奥は一面の畑。このあたりが館跡です。
城跡の動かぬ証拠が山根城跡の石碑!!!
石碑の奥に「竹林」があります。ここに何か遺構があるかも。
竹林の中に入ると、何となく土塁があるような空堀があるような・・・
夏場であること、ハチの大群が飛んでいたこと、竹林の上から蛇のような生き物が落ちてきたので断念しました。
ちなみに石碑から見える左奥の森は、埼玉県指定無形文化財の流鏑馬で有名な出雲伊波比神社です。
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毛呂氏は藤原鎌足の後胤で鎌足から9代目の孫が関白藤原実頼です。この実頼から5代目が太宰権師季仲、その子季清が毛呂郷に居住し、在名を氏としました。季清の子季光は源頼朝に信任され、頼朝の分国豊後の国司となりました。
季光の曾孫土佐守顕季、その弟顕繁は、大谷木に居住し、その館跡がこの地であるそうです。
妙玄寺の住職に事情を話し、境内の駐車場を借りました。城跡は妙玄寺の南東、八高線の踏切の先にありますが駐車場が無いので(苦笑)
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まずは妙玄寺境内の「此のお寺のこと」という案内板で予習を!
「このお寺は両宮山妙玄寺と言い曹洞宗に属し、御本山は福井県永平寺と神奈川県總持寺の両大本山である。
天文3年(1533)毛呂顕季夫人(顕繁の母)の創建で毛呂山町小田谷長栄寺の二世忠室良勲大和尚を開山として迎える。山号を両宮山といい本尊に聖観音菩薩を安置する。開基の顕季夫人は天文23年に卒し、法名を以参妙玄大姉という。(略)
裏手墓地内にある毛呂氏供養数代の供養塔は町指定文化財で、なお俳人川村碩布翁の墓および句碑、国学者権田直助、年助の墓などがある。寺の南東に接して毛呂氏の館跡地である「堀ノ内」がある。毛呂城はまた、山根城とも称した。新編武蔵風土記稿に「毛呂氏陣屋跡所の字を堀ノ内といえり、今陸田となる。九反九畝十六歩の地なり」とある。土塁や構え堀の遺構は今ではほとんどわからなくなったが、堀ノ内の古名は八高線の線路をはさんで今も残っている。(以下略)
妙玄寺二十四世 住職 山田龍昌
平成5年6月吉日記
寄贈者 毛呂本郷 中村辰次」
とあります。補足しますと、陸田とは畑のことです。広さは3000坪弱!!!

「此のお寺のこと」を考えれば、毛呂氏一族の支城なのでしょうか。
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by ckk12850 | 2006-06-14 15:41 | 入間郡毛呂山町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助