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忍城

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城名:忍城
別名:亀城
城主:成田氏・阿部氏・松平氏
住所:埼玉県行田市本丸
遺構:復興御三階櫓・時の鐘・門・土塁・堀

築城者とされる成田親泰は山内上杉氏の配下にありましたが、延徳元年(1489年)に扇谷上杉氏側の忍氏の館を襲い滅ぼし、延徳3年に忍城を完成させました。
天文15年(1546年)、成田長泰は扇谷上杉氏の配下として川越夜戦に参戦しますが、敗退。
天文22年(1553年)には北条氏康の攻撃を受けます。
さらに永禄2年(1559年)には長尾景虎の攻撃を受けます。長泰は降伏し、長尾景虎とともに北条氏の小田原城包囲に参戦しました。
ところが鶴岡八幡宮で関東管領職を正式に継いだ長尾景虎(上杉政虎、後の謙信)とトラブルを起こし、今度は小田原北条氏に属することになります。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐の折には、当主成田氏長は、小田原城に籠城し、城代成田泰秀が、石田三成、大谷吉隆、長束正家の攻撃(水攻め)から守り、小田原城開城後にようやく開城しました。

徳川家康関東入国後、松平家忠、松平忠吉、酒井忠勝、松平信綱の城主を経て、阿部忠秋が入封、以後9代183年の治世となります。
文政6年(1823年)、松平氏4代を経て明治維新となります。
十万石まんじゅうで有名な「十万石」は阿部氏、松平氏の頃の話です。

真っ先に目指したのは復興された御三階櫓のある郷土博物館。勘違いしてはいけないのが、かつて三の丸南の郭南東隅にあったものを、便宜上この位置に復興したものであるということです。明治6年解体、昭和63年復興。実質的な天守閣です。
最上階は展望台も兼ねているとのことですが、街中の景色はこんなものかな・・・
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御三階櫓の北に忍城時の鐘(鐘楼)があり、現存する唯一の建物とされています。
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本丸西側土塁は残存状況が良く、南に二の丸、西に土蔵郭と橋で結ばれていたところです。郷土博物館の駐車場脇にありますので必見。
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ついでに伝進修館表門も郷土博物館敷地内に移築復元されています。
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旧芳川家表門を移築復元したもので、藩校進修館の表門だと伝えられています。かつて赤門であった可能性があり、天保3年(1833年)、奉行後藤五八、大工町世話方大工宋兵衛等によって建立されたことが判明しているそうです。

ここまで見れば十分かな(苦笑)

ポイントを外して水城公園、さきたま古墳群へ足を延ばすのも良いでしょう。丸墓山古墳は、上杉謙信や石田三成も城攻めのときに登った名古墳です(笑)

もっと足を延ばして石田堤も見ておくと良いでしょう。

歴史的には非常に興味がある城ですが、現代の復元を楽しむか、遺構探しを楽しむか・・・それはお任せいたします。
by ckk12850 | 2006-09-13 11:43 | 行田市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助