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松山陣屋

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城名:松山陣屋
別名:―
城主:松平大和守直克
住所:埼玉県東松山市松葉町1丁目・東松山市役所
遺構:なし

東松山市の城下町の歴史は1601年の松山城廃城と共に終わっていたと思っていたのですが、幕末にこんな歴史があったとは初耳でした。

庁舎の東側に石碑と案内板がありました。縄張図まであって、東松山市の城跡の案内板は全体的に丁寧です。
この縄張図、詳細に書かれていて、幕末の藩の組織まで分かってしまうという優れもの。
遺構は確認できませんでしたが、徳川親藩としての陣屋ですから、相当なものだったことでしょう。
松平大和守直克は、江戸と前橋を行き来するときは、中仙道を通らず、この陣屋を経由していたのかなあ。宿代も無料だし(笑)
参考までに中仙道の脇街道として、板橋~川越~松山~熊谷なんてコースがありました。板橋~川越~坂戸~小川~寄居~児玉~藤岡なんてコースもありましたし。

では、案内板から・・・
「風雲急を告げる幕末、川越城主松平大和守直克は、念願の再建なった上州前橋城に移封を命ぜられました。時に慶応3年(1867年)1月のことでした。
この時、松山を中心とする村々3万石余が、同前橋藩の飛地(領地)として残され、これを支配するために、この松葉町の地に「松山陣屋」がおかれました。
松山陣屋は、小川道を境に南と北にきずかれ、土塁、空堀などを備えた立派なもので、陣屋と考えるより、むしろ前橋城の支城の性格を持つものと考えられるものです。
同陣屋付の士族(藩士)は258人で、当時松山の推定人口1600人ほどの地に、家族を含めての大幅な人口増を見たことによって、松山は大きく変貌することになります。
昭和54年3月
東松山市教育委員会」

縄張図を見ると、興味深い部署があります。
陣屋内は、御殿、奉行所、家老、年寄、大目付、目付、町在奉行、勘定奉行、作事奉行、銃隊、遊隊、医者・・・
武家屋敷には銃隊、散兵隊、在方組、浮組・・・
陣屋と武家屋敷間の広小路には大工熊吉さん、左官酉五郎さん、商人横田五郎兵衛が住んでいたようです。
陣屋は正方形で、土塁、堀があり、その外側に道路があります。陣屋南には武家屋敷が形成されていたことが分かります。
by ckk12850 | 2006-09-27 15:48 | 東松山市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助