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中山陣屋(飯能市)

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城名:中山陣屋
別名:―
城主:徳川家旗本の代官?
住所:埼玉県飯能市中山716番地・加治神社付近?
遺構:土盛跡?・平場?

埼玉の館城跡では中山家範館の東方約200mに所在し、土盛りした屋敷跡が残っていると記されています。
また、ここは天領を預かる代官の陣屋で、江戸時代の寛文年間から延宝年間まで存続し、元禄年間には廃されていたそうです。
その後、領主の黒田氏の松林となったそうです。

この中山地区の館跡の共通点は、背後が山であり、その中腹に屋敷を構えるというのが特徴です。
で、推定地は駐車場?
中山家範館から東に200mの地点としてはピッタリですが・・・
近所の山林の中には土取り跡がたくさんあって何も分かりません。松林を探しましたが、杉林しか見つからないし(苦笑)

中山家範館から東に300mの加治神社の存在も気になるところです。加治神社東に「中山城會館」の存在。「城」という名に反応してしまいました。
加治神社鳥居近辺西側の広場も気になりますが・・・
中山陣屋(飯能市)_c0051112_22494954.jpg

ところで加治神社は中山氏と関連が深かったようです。
案内板には、
「中山氏と加治神社
伝承によると中山信吉の祖父にあたる中山家勝は上杉氏の家来として、北条氏との河越夜戦に敗れ中山に戻るとき、入間川の洪水に阻まれる。その時芦毛の馬を連れた老人に救われ、中山にたどり着く。老人は「吾は吾妻天神なり」と言い残し馬とともに、天神様の前で姿を消したという。
加治神社は、明治の初め、聖天社が改称された名称だと考えられる。その後、この伝承の残る天神様(天満宮)は、加治神社と合祀される。
加治神社の現在の本殿は、明治40年頃智観寺の北にあった丹生神社が合祀されたときに移築されたものである。参道には寛永19年の石灯篭が6基並んでいる。中山信吉の嗣子中山信正が丹生神社中興に当たり寄進したもので、本殿とともに移転された。信正は丹生神社の祭礼にも力を注ぎ、中山村の隆盛に力を注いだ。
加治神社は中山氏の足跡を残していると同時に、一時は中山町と称されていた中山村繁栄の一端を示している。
平成15年3月 飯能市教育委員会」
と記されています。

話題は完全に逸れて、中山氏の話題に(笑)
江戸時代の代官様の立場は何処に!?
by ckk12850 | 2007-02-03 22:51 | 飯能市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助