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難波田城

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城名:難波田城
城主:難波田氏・上田氏
住所:埼玉県富士見市下南畑568番地1
遺構:土塁・水堀(復元)

この城は県道川越新座線沿いに存在し、国道254号の裏道としても便利で何回も利用している道であったので平成の初め頃、数回探訪した事がありました。県道から少し入った所に城跡らしき場所がありました。荒川低地の標高6mの自然堤防上に形成されています。水田と住宅地の中にぽつりと塚のような遺構と小さい看板(碑?)があり、城のイメージを実感することができませんでした。

平成15年に難波田城公園として整備されていることを知って、早速探訪してみました。
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猛暑の折、木々の日陰を期待して探訪しましたが、いや、びっくりしました。基本的に発掘調査を基に復元整備されていて、植栽管理もきちんとされています。日陰どころではありません。見事な中世城郭の貴重な遺構を目の当たりにすることができるのです。
この様な保存方法に賛否はあるでしょうが、個人的には富士見市に拍手を送りたいと思います。
公園は資料館、城跡ゾーン、古民家ゾーンに分かれていて実に分かりやすいのです。
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これなら小学生の高学年位から格好の歴史教材になるでしょう。
古民家ゾーンは小学生の低学年から楽しめます。園内では、ミュージアムグッズや地元特産物の販売もされています。資料館の入館料は無料ですが、休館日は月曜日(月曜が休日のときは、その翌日)、休日の翌日、年末年始なので注意したいところです。

さて、難波田城公園に戻りましょう。無料のパンフレットは、園内各所で入手できますが、資料館で100円のパンフレットを購入しました。昭和36年に埼玉県旧跡に指定。荒川低地の一角に築かれた平城で、規模は50000㎡以上と推定されています。平成9年度から3年かけて整備され、平成12年6月1日に開園しましたと書いてありました。

城跡は、本丸(一の郭)、馬出(二の郭)、三の郭、四の郭の計4つの郭が復元されており、水堀と土塁、本城門、追手門(大手門)、木橋も復元されています。三重の堀と土塁で囲まれ低湿地ならではの水城といえましょう。
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なお、本丸は公園内に一部しか復元されておらず、本城門北の住宅地の一帯に存在したので注意すべきでしょう。
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その他、北方面に本来の二の丸(二の郭)、北東方面に天神郭があったとのことですが、整備の対象外となっています。少しだけ残念な気がしますが、かつての城跡の雰囲気が伝わるのは天神郭周辺のような気が。
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史跡公園の敷地外の西には、難波田氏一族のものと伝わる五輪塔(宝篋印塔)があります。
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同じく史跡公園の敷地外、本丸付近には土塁らしき遺構も残ります。
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城主である難波田氏の起源ですが、武蔵七党の1つ、村山党の出自です。桓武平氏の高望王は坂東(関東地方)に下り、坂東八平氏の基礎が築かれます。高望王から6代目が村山頼任であり、東京都東村山付近に在住しました。その子、頼家の子息は入間郡内各地に分散し、その内の1人は、金子六郎家範と称し入間市木蓮寺に在住しました。さらに家範の子、高範は富士見市難波田に館を構え、難波田小太郎と称したのです。以来、代々在地領主として活躍しました。

有名な城主は、1500年代前半の難波田弾正憲重(正直または善銀ともいう)でしょう。扇谷上杉朝興に仕え、江戸城、川越城と共に有力な支城である松山城代も務めました。しかし、小田原の北条氏綱が1524年に武蔵国へ進出、扇谷上杉氏は江戸城を奪われ川越城へ敗走します。1537年には川越城も奪われ松山城へ敗走します。川越城奪還を試みた上杉朝興の子、朝定は、山内上杉憲政、古河公方足利晴氏と共に連合軍を組み、1546年の川越夜戦となるのです。小田原北条氏の夜襲により朝定は討死。難波田弾正憲重も激戦地の東明寺(川越市志多町)で古井戸に落ち戦死しました。小田原北条氏による武蔵国の支配権は決定的になりました。
そして難波田氏は小田原北条氏の家臣になり、志木市宗岡、川越市池辺を知行地として与えられました。
その後、小田原北条氏支配の頃は、上田周防守(上田左近)が難波田城主でしたが、1590年、豊臣秀吉の小田原北条氏成敗の後、廃城となりました。
参考までに小田原成敗時、難波田憲次等の一族は小田原北条氏家臣として松山城に籠城しました。

江戸時代は修験道の十玉院があり、現在も整備された公園内に院主の墓地が残ります。
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南北朝時代の観応2年(1351)12月9日、難波田城主、難波田九郎三郎と高麗(日高市)の住人高麗彦四郎経澄とが対戦した羽根倉古戦場も参考にどうぞ。
by ckk12850 | 2005-02-07 07:00 | 富士見市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助