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今井城

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城名:今井城
別名:―
城主:今井氏・?
住所:東京都青梅市今井1丁目
遺構:土塁・空堀

車の場合は青梅入間線(63号線)から。目安は青梅市と入間市の境界でもある霞川に架かる金子橋の西、300mの場所です。
トヨタのカーナビには天守閣付きの表示が出てビックリしますが(笑)
加治丘陵の端に築かれ、南側には霞川が流れています。
城跡は閑静な住宅街と青梅入間線の間に存在しますが、駐車スペースが見当たらない・・・

城の西側に案内板がありました。以前から探していたのですよ。
「市指定史跡 今井城跡
今井氏数代の居館と伝えるこの今井城跡は、面積およそ8500平方メートルの二郭からなる単純な連郭式の城郭である。
東半分は西地両側に深い空堀と三方を土塁に囲まれた曲輪であるが西半分は土塁のない曲輪である。
昭和42年の春と夏の二度にわたって青梅市教育委員会は発掘調査を行った。その結果、正和元年(1312)から大永2年(1522)にかけての板碑や開元通宝等が発見され、また、遺構の保存が良好であることが判明し、小規模ながら中世城郭としてきわめて貴重な遺構であることが明らかとなった。
昭和28年11月3日指定 青梅市教育委員会」
と記されています。

本郭は土塁に囲まれ、北側は二重の空堀が構えられています。本郭西と二の郭北に土橋が確認できます。
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また、本郭から南を見れば、比高5m以上の崖のようになっています。かなり要害。
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ここまでハッキリ書けるのは遺構の保存状況が大変良いということです。
案内板では単純な連郭式と書かれていますが、空堀の折りは戦国時代を思わせる見事な遺構です。複雑な連郭式と書いてもいいですよ~。
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城主は今井四郎左衛門尉経家の子孫の宗家数代が領した後、天正年間(1573年~1592年)に断絶したようです。
なお、墓所を含めた土塁の一部が破壊され、新たに土塁が普請された形跡があるそうです。
これは今井氏が板碑不要と判断して城の防備を増強したのか、今井氏の遺構が小田原北条氏によって排除されたのか、小田原北条氏が滅亡して今井氏の居城が徳川家の家臣の城となったのか、もう少し調べる必要がありそうです。

昭和41年、学習院大学の調査では、正和元年(1312年)から文明14年(1482年)の板碑(板石塔婆)が確認されています。
その数は50基以上、台石約10基が出土しています。
屋敷墓とされ、配石墳墓周辺から倒れて出土しているので謎が深まるのです。

板石塔婆関係の資料を読むと、この今井城は一度生まれ変わっていることだけは確かなのです・・・
by ckk12850 | 2007-09-08 23:00 | 日本全国【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助