人気ブログランキング | 話題のタグを見る

物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)

物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_1326078.jpg

城名:物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻
別名:物見山砦
城主:?
住所:埼玉県比企郡ときがわ町五明
遺構:段築

さて、9回目の挑戦となりました(爆)
新人物往来社刊、日本城郭体系第5巻の物見山の遺構を探していたのです。

偶然ですが、物見山西支尾根(小川町下里)に立派な段築がありました。
物見山山頂は小倉城側から制覇しました。段築らしき遺構がありましたが、圧巻は小倉城から見て仙元山への上り急斜面、続いて物見山山頂への上り急斜面でした。

小倉城本郭にある案内板によれば、小倉城立地概念図(自然地形の外郭線)として、小倉城の西はときがわ町五明の物見山東の稜線、北は遠山地区(嵐山町遠山)の物見山、南東は正山、北東は大平山まで含めています。また、小倉集落、坂下(下里)集落、遠山集落も中世の集落としています。
結果的に日本城郭体系第5巻の物見山の遺構は、小倉城立地概念(自然地形の外郭線)に含まれていなかったのです。

日本城郭体系第5巻では「物見山」を次のように紹介しています。
住所は比企郡玉川村(現ときがわ町)五明堂平。形態は砦。標高260m~270mの場所に、10m×40mの段築があるとされています。
「玉川村(現ときがわ町)と小川町の境界を形成する丘陵の頂上稜線上にある。(略)
砦の東方約2000mの地点には標高281.7mの物見山がある。
この物見山については、いままでまったく注意されずにきたが、尾根筋に明らかに段築が加えられているのが認められる。段築は、高さが約1~1.5mほどのもので、6段にわたって築かれ、それは尾根幅いっぱいに広がっている。そして段築は小倉城方面に対して備えられたものである。(略)
小倉城青山城の中間点にあり、両城の連絡路上にあることを考慮するなら、戦国期に青山城の砦として築かれた可能性が高い。現在残る物見山はこの砦を指す呼称であったものが、東方の小高い山頂に転化して呼ばれているものであろう。」

明らかな誤記は「砦の東方約2000mの地点には標高281.7mの物見山がある。」という文。正しくは「砦の東方直線距離300mの地点には標高286mの物見山がある。」という文になります。

最後まで混乱したのは「東方約2000mの地点」という表現です。2kmは距離が離れているから200mまたは20mの間違いであろうと考えていたのです。
この文章を何度も何度も読み直して・・・一歩75cm歩測により20mまたは200mと仮定、山頂から26歩または266歩西に向かって歩く作戦を練りました。
余談ですが、山頂から26歩または266歩西に向かって歩いた場所は尾根道でした(笑)
遺構がある場所を地図で確認したら、直線距離300mでした。
実際に歩測であれば、約360m~400mの一帯になります。

さて訪問。間違えても林道割谷線終点または小倉城西側小倉峠以外からの訪問は考えませんように。南北の支尾根から登頂を試みますと・・・遭難します。
猪追いの犬が迷子になっていました(笑)
1回目と同じルート、林道割谷線を使いました。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_178392.jpg

比企郡小川町、下里地区から訪問します。槻川に架かる割谷橋を渡って直進すれば良いのですが、平成19年11月現在、法面崩落の危険があるため車両も歩行者も通行止めとなっていました。
これが「林道割谷線」です。訪問は自己責任でお願いします。
この道を歩きました。くどいようですが自己責任で。
約20分歩きますと、林道終点です。終点が小倉城~青山城間の稜線上(尾根道)となります。縦走が可能です。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_1783920.jpg

「→大日山青山城跡→仙元山見晴らしの丘公園・←物見山←小倉城跡←嵐山渓谷・↓割谷林道経由埼玉伝統工芸会館」と書かれた道標があります。
登ってきた道が割谷林道経由埼玉伝統工芸会館方面です。目標は物見山なので左(東)へ向かいます。緩やかな登り道です。
徒歩1分でピーク。2つ目の道標があります。道標に従ってください。参考までに道標を無視して登山道を左(北)の登山道のような獣道に進むと偶然発見した物見山西支尾根の遺構に出られます。

さて、1つ目の道標から3つ目の道標まで徒歩約7分。この3つ目の道標がピークになっています。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_1792694.jpg

目的地です。
つまり日本城郭体系第5巻が指摘する物見山砦遺構の平場です。
「→小倉城跡→嵐山渓谷・←仙元山見晴らしの丘公園」と書かれています。この道標がある地点が物見山山頂から直線距離300m西側にあるピーク(山頂平場)だったのです。
ここから西にある物見山に向かいます。実際は尾根道に沿って歩くので、南に向かって歩きます。下り坂となりますが、段築です。高さが約1m~1.5m、6段にわたって築かれ、尾根幅いっぱいに広がっていました。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_17115129.jpg

感動!素晴らしい!城郭体系の縄張図と同じです!完全に残っています。
木々が多く写真では状況が把握できないかもしれませんが、立派な段築でした。小倉城側(南)に対して構えられています。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_17211522.jpg

少し離れて見上げると、尾根上とはいえ独立峰にも見えます。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_17462098.jpg

更に約5分歩けば物見山山頂です。林道割谷線終点から12分です。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_18294670.jpg

日本城郭体系第5巻が指摘する山頂平場は、物見山山頂より約20m低い場所ですが、なぜ段築の普請が必要なのでしょうか?
物見山山頂の西側(青山城側)から、尾根道が平坦地のためではないでしょうか。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_17155520.jpg

ところが物見山山頂の東側(小倉城側)は要害なので、普請が不必要だったのではないでしょうか。物見山山頂、下り急斜面、仙元山山頂、下り急斜面がありますので・・・なお、物見山山頂から小倉城までは物見山東の稜線を参考にされてください。

物見山山頂周辺には土塁のような遺構・・・
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_17225240.jpg

段築遺構周辺には虎口のような遺構もありました。
物見山(ときがわ町五明)・日本城郭体系第5巻(林道割谷線口)_c0051112_1724404.jpg

物見山西稜の全体的な印象は、この地方特有の緑泥片岩を使用していないこと。青山城に対しても、小倉城に対しても防御の姿勢が見受けられることでした。
日本城郭体系第5巻が指摘している遺構は、青山城に付随した砦として考えられますが、独立した砦として機能した可能性もあります。
地図はこちら
by ckk12850 | 2007-12-01 17:26 | 比企郡ときがわ町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助