高倉館
2007年 12月 09日
城名:高倉館
別名:小川氏館
城主:小川氏
住所:埼玉県入間郡高倉103番地
遺構:土塁・空堀
埼玉の遺跡マップでは、高倉館と称し、鶴ヶ島市高倉にあり、江戸時代の遺跡(城館跡)として定義されています。
遺構は土塁と堀。現状は山林と宅地。陶磁器、石臼、古銭等が出土しているようです。
県道川越越生線(114号線)を鶴ヶ島市役所方面から見て、国道407号線を横切った後、「派出所交差点」を左折。左折後、約450mの右側にあります。
鶴ヶ島市農業交流センターつるの里のんのん、JAいるま野鶴ヶ島農産物特売センターの道路を挟んだ向かい側一帯です。
おお、屋敷林が!立派な長屋門が構えられているし・・・
何かありそうな予感。
小川様がお住まいでした。詳しく話を伺うことができました。
「約400年前、既に住んでいました。同じ通りの道沿いには派出所に向かって数軒の分家の小川家がありますが、ここが本家です。歴史が好きなので詳しく調べたことがあります。
発掘の出土物や歴史は、市役所や中央図書館で分かりますよ。鶴ヶ島市農業交流センターつるの里のんのん建設時に大規模な発掘調査がありました。
おじいさんの、そのまたおじいさんの、そのまたおじいさんくらいだったと思いますが、裃(正装という意味)を着用し、浅羽城に詰めて(登城して)いました。浅羽氏の家臣だったそうです。
浅羽氏の家臣は皆、大智寺(勝呂館)の檀家なのですよ。我が家も大智寺が菩提寺です。
同じ通りにある日枝神社は寺でした。終戦後(農地解放)まで、その多くは寺領でした」
とのことです。貴重な話をありがとうございます。
森田屋敷の森田様は浅羽氏家臣の末裔と伝えられ、小川様も浅羽氏家臣の末裔と伝えられていました。ますます興味が沸きます。
屋敷の裏を拝見。
鶴ヶ島市西中学校側に見事な土塁と空堀が残っていました。最大比高は2mを超え、長さは55mありました。
屋敷の左側(鶴ヶ島市西中学校に向かう道)は道路が整備され、土塁の一部が削られたような跡があります。
最低でも歩測135m×55mの広さの館跡です。裏の土塁、空堀も私有地なので、声を掛けてから訪問されるのがよろしいかと思います。
by ckk12850
| 2007-12-09 16:24
| 鶴ヶ島市【城跡】