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小河次郎居館地?

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城名:小河次郎居館地?
別名:大梅寺
城主:小河次郎?
住所:埼玉県比企郡小川町大塚470番地・大梅寺(たいばいじ)
遺構:台地?

「埼玉の館城跡」に名称のみ記載されています。備考欄に県史3、吾鏡、大梅寺と記されています。
大梅寺を訪問するしか手段がない(苦笑)
でも・・・分かりませんでした。県史3、吾鏡を読んでいませんが(汗)
多分・・・平家物語に登場する小河次郎のことでしょう。
では猿尾氏の立場は?

近隣は中城守邦親王仮寓伝説の八幡神社という強豪揃い。
地形的には八幡神社と地続きですが、一部谷を隔てた台地です。
屋敷があったとしても不思議ではありませんが・・・
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察するに大梅寺建立前に小河次郎がこの地に館を構え、土地の豪族猿尾氏が鎌倉時代中期に中城を中心とする場所に移行したのではないでしょうか。
小河次郎を偲ぶ遺構は不明であったという結論でお許しを。

山門前に案内板があります。
「大梅寺
所在地 比企郡小川町大字大塚
大梅寺は、勧進録によれば仁治3年(1242)に、土地の豪族猿尾氏が都幾川村の霊山院の栄朝禅師を招請し、創建したと伝えられている。
鎌倉幕府滅亡のおり、将軍守邦親王が当地に下向し病没したので、大梅寺の円了長老が引導し葬ったという言い伝えが残っている。
永禄4年(1561)の兵火で寺院が焼失したが、寛永の頃(1624~1644)に、越生町の龍穏寺第16世鶴峰聚孫大和尚が中興され、この時より曹洞宗となる。その後、更に焼失し天明5年(1785)に、再建され現在に及んでいる。
本堂前の記念碑の裏側にある二連塔婆は、暦応4年(1341)に建てられたものであり、貴重なものである。
また、記念碑の左手には、江戸時代の俳人太魯の墓がある。
昭和59年3月
埼玉県
小川町」
と記されています。

二連塔婆は小川町指定文化財です。二連の塔婆は小川町内に集中している7基のうちの1基です。参考に見ておくと良いでしょう。
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中城、八幡神社も徒歩圏です。八幡神社の駐車場は広いです。ゆっくり駐車してセット訪問がお勧めです。
by ckk12850 | 2008-02-10 11:34 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助