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奈良梨陣屋

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城名:奈良梨陣屋
別名:―
城主:諏訪小太郎頼忠・諏訪頼水
住所:埼玉県比企郡小川町奈良梨929番地・八和田神社
遺構:土塁・空堀

所在地の情報は「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」から。住所は奈良梨929番地です。戦国時代の陣屋だそうです。堀、土塁が残るとされています。
また、現況は神社、山林、宅地、台地とされています。

県道296号線の奈良梨交差点の北側にある大きな鳥居に表示があります。
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「町指定文化財 諏訪神社鰐口 八和田神社の大スギ」とあります。「スーパーつくしや」前の道が八和田神社の参道となっています。

「埼玉の館城跡」でも紹介されています。
「諏訪家は信濃諏訪神社の神官大祝家であり、忠頼は同地方の武将でもあった。天正18年(1590)徳川家康に属して、忠頼・頼水は小田原攻めに参加し、戦功をたてたので奈良梨・羽生・蛭川などで1万2千石を賜り、奈良梨に陣屋をおいた。頼水が上野惣社に移封される文禄元年(1592)までわずか3年であった。」
忠頼ではなく、頼忠が正しいと思うのですが・・・

さて、境内にある目通り5.67m、高さ約30m、樹齢800年の大スギを見物後、遺構探し。
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探すほどのことはありませんでした。
本殿北と西に土塁があります。特に北側の土塁は保存状況が良好です。
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本殿東に土塁と水堀があります。
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境内北東隅近くには案内板が設置されています。
「町指定史跡
奈良梨陣屋跡
平成8年4月19日指定
八和田神社東側に残る堀と土塁の一部は、戦国時代から江戸時代にかけて築かれたものと思われます。当時、鎌倉街道上道の宿駅として栄えた奈良梨において、現在の八和田神社の境内になんらかの施設がおかれていた可能性があります。
平成8年に実施した試掘調査の結果、この堀と土塁はほぼ平行して一直線に走っていることがわかりました。堀の断面形は箱薬研と呼ばれる中世の城や館を取り巻く溝に非常によく似ていました。土塁には、幾層にも丁寧に積み上げた状況が確認されました。あいにく時代を決定する遺物は出土しませんでしたが、以上のことから、周辺文化財・史跡等の総合的な見地で、広義の陣屋跡として指定されたものです。」
と記されています。

諏訪氏の陣屋とは断定できなかったのですね。
by ckk12850 | 2008-03-05 18:35 | 比企郡小川町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助