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源義賢の墓

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名称:源義賢の墓
住所:埼玉県比企郡嵐山町大蔵66番地

大蔵館(大蔵神社)の東側、約200mの民家の庭先に埼玉県指定史跡、源義賢の墓があります。
県道大野東松山線(172号線)を大蔵神社から東へ向かい、信号通過後、すぐに右の舗装道に入ります。「源義賢の墓」と書かれたこの地区得意の巨大看板がお出迎え(苦笑)
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北側から訪問する時は、民家の敷地内を通過するので家人の了承を得てから。

声を掛けるのが嫌なら南側の細い道へ迂回です。
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公道に面した民家南側の入口に案内板があります。
「源義賢の墓
義賢は源為義の次子(長子は義朝)で、近衛天皇が東宮の時に仕え、帯刀の長となったので、帯刀先生と称され、その後東国に下り、上野国多胡館(群馬県多野郡吉井町)を本拠地としてので、多胡先生とも称された。
更にその後、この地(大蔵館)に移住し、武蔵国や上野国に勢力を振るったが、久寿2年(1155年)8月16日、大蔵館で義朝の長子である甥の悪源太(源)義平と合戦して討たれた。
なお、木曽義仲は、義賢の次子である。
源義賢の墓とつたえられるこの五輪塔は、数度の火災にあったためか、やや赤く変色しているが、県内では、最古の部類に属するものである。
大正13年3月31日に県指定史跡に指定されている。
埼玉県
昭和55年3月」
と記されています。
まずは簡単に時代の流れを予習。伝木曽義仲館も近所です。

墓の隣にも案内板があります。
「埼玉県指定史跡 源義賢墓
指定 大正13年3月31日
所在地 嵐山町大字大蔵字大東66
時代 平安末期
この五輪塔は、火輪部と水輪部のみ残存しており、空輪部と地輪部は後から補われたもので、風輪部は欠損しています。材質は、凝灰岩製で、火災にあったためか変色のあとがみられ、損傷も激しかったため、昭和52年に東京国立文化財研究所により修理処理されました。
このかたちは、いわゆる古式五輪塔と呼ばれ、県内に所在する五輪塔の中では最古の例です。
なお、この墓は、義賢ゆかりの人々が供養のために建立したものと考えられます。
(略系図)
この五輪塔は本来供養のために建てられましたが、後には墓石として建てられるようになりました。
密教の宇宙観より、上から空・風・火・水・地として、五大の考え方をあらわしています。
平成4年9月
嵐山町教育委員会」
と記されています。

これは本格的な案内。高レベルの墓石知識が必要かも。
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大蔵館訪問の際、セットで訪問することをお勧めします。
地図はこちら
by ckk12850 | 2012-04-25 06:00 | 古墳・墓【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助