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陣屋(新座市)

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城名:陣屋
別名:―
城主:松平輝貞(高崎藩主)
住所:埼玉県新座市野火止1丁目
遺構:築堤

まったく期待しない城跡(陣屋跡)だったのですが、奇跡的に迷わずピンスポット訪問できました。

まず、陣屋小学校、陣屋バス停、陣屋通り・・・
付近には「陣屋」の名称を使う様々なヒントがあるのです。陣屋という蕎麦屋までありました(笑)

さて、具体的な所在地ですが、「埼玉の館城跡」を参考にしました。
当時の情報として、北足立郡新座町野火止陣屋1115・1128・1133番地。私有地であり、所有者は長谷川宗順氏。

この情報だけで何とかなりそう。国道254号線から平林寺大門通りに入り、新座市役所前を通過。手延うどん「たけ山」を左折。左に白梅幼稚園を見て、その先に大きな案内板があります。案内板を読まずに聞き込み開始。
「このあたりで江戸時代に陣屋があったと思うのですが、その具体的な所在地はご存知でしょうか?」
「ここです」
「では、長谷川様という方は、現在でもこの付近にお住まいでいらっしゃるかご存知でしょうか?」
「多分、白梅幼稚園の園長さんでしょ!」

まさか陣屋跡地内で聞き込みをしていたとは(苦笑)
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案内板を読みました。
「野火止用水陣屋堀
松平信綱は、徳川幕府開設以来四代にわたって懸案であった江戸の上水道について、福生市の北の羽村町から小平市を通り、四ッ谷大木戸を経て虎ノ門に至る掘割りを完成させませた。これが玉川上水です。そしてその功労と武蔵野開発を理由に、玉川上水分水の許可を得て、小平市小川町から新座市を経て、志木市の新河岸川に至る約二十五キロメートルの用水を引き、野火止の荒野を潤しました。
野火止用水は、玉川上水の完成した翌年の明暦元年(1655)に、当時川越城主であった松平信綱によって、江戸の大消費地に対する武蔵野開発の一貫として、野火止台地開発のために開削された用水路で、開拓農民にとって大切な飲料水であったのです。
川越城主の松平家は信綱・輝綱・信輝と三代続き、元禄7年(1694)に信輝が古河転封後は柳沢吉保が川越城主として支配しました。その後宝永元年(1704)に吉保が甲府転封の際に祖先の墳墓の地として、高崎城主松平輝貞(信輝の弟)の三千石分として加増され、再び松平家の知行地になり、平林寺前に陣屋が置かれました。
陣屋は、高崎城主が旧大和田地区の知行のためと、平林寺を守るために武士を住みつかせたものです。
野火止用水は、新座市内に入り四本に分流します。陣屋堀は、陣屋に住む武士の人々の生活水として開削されました。
陣屋堀や平林寺堀は、地形の関係から築堤して用水を引き入れています。築堤は赤土(関東ローム)や黒土・粘土などを交互に積み重ね、固めたところに堀を開削した強固なもので漏水しないよう配慮されています。
昭和54年3月
新座市役所
新座市教育委員会
新座市文化財保護審議委員会」
と記されています。

その他、築堤の断面図と写真が記されています。
当時の地図も描かれています。
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案内板の陣屋地図と現在の地図を照会すれば、江戸時代の陣屋入口と思われる道も容易に発見できるでしょう。勘ですが(汗)
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それから土塁のような遺構。築堤ですが、具体的な所在地を知る手段にもなるでしょう。
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簡単に解説しますと、築堤が陣屋の土塁と水堀を兼ねていたようで、陣屋の東側、南側を取り囲む形で築かれています。
by ckk12850 | 2008-04-27 07:20 | 新座市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助