入西氏館?
2008年 07月 29日
城名:入西氏館?
別名:―
城主:入西氏?・?
住所:埼玉県坂戸市竹之内
遺構:?
存在の情報は「関東地方の中世城館(2)埼玉・千葉」から。平安時代末期の館だそうです。所在地は入西。
坂戸市城館として最後まで不明だった入西氏の館跡探しです。決して参考にしないでください(苦笑)
入間郡北西部一帯(入西地域)から探すことは、相当強引な推察と承知しています。
広義の入西なのか、狭義の入西なのか迷います。これは狭義の入西地区と判断すべきでしょう。
注目されない穴場的な坂戸市「竹之内」ですが、総合的に判断してこの地ではないかと思っています。小山72番地にある入西神社の台地下です。
台地上でない点が平安時代末期の館としては自然なのか不自然なのか!?
しかし、周辺の関連遺構を考えれば自然とも思え・・・
そして竹之内(館の内)の地名。
北に北浅羽館、西に長岡氏屋敷、南に平山氏陣屋があります。
児玉党と関係がありそうな遺構は北浅羽館、長岡氏屋敷、堀込氏館、大河原氏館でしょうか。
北浅羽193番地にある萬福寺は浅羽氏ゆかりの地である北浅羽館推定地ですが、そこに残る板石塔婆は浅羽小大夫行成(行業)を供養するためであり、行成の弟に次郎大夫遠広(小代氏)、新大夫有行(越生氏)がいます。さらに三郎行親(浅羽氏)、四郎盛行(小見野氏)、五郎行直(粟生田氏)に分かれています。
ここに浅羽氏略系図が設置されていますが、国立公文書館蔵「諸家系図纂」を参照して、遠峯(有道氏)―雅行―弘行―資行(入西氏)―行成(浅羽氏)と続いています。
つまり入西氏は、浅羽氏になってしまったという訳で、これも混乱の原因なのです。
北浅羽館から浅羽城間の地図線上を追うのも手段かもしれませんが・・・
現在、竹之内の地は静かな農村の集落の名残がある地です。大きな屋敷も数軒あり、館があったと仮定しても不思議ではありません。
入西神社北側台地下の水路付近、入西公民館(竹之内分館)付近も推定地かも・・・
by ckk12850
| 2008-07-29 20:54
| 坂戸市【城跡】