菖蒲城

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城名:菖蒲城
別名:あやめ城
城主:金田(佐々木)式部丞則綱?・佐々木氏?
住所:埼玉県久喜市菖蒲町新堀985番地
遺構:微高台地?

菖蒲町役場の西、県道川越栗橋線(12号線)沿いにあります。

ここを城跡だと知らなければ通過してしまうでしょう。それほど城跡らしからぬ城跡でした。
「菖蒲城跡あやめ園」を目印にするのですが、田んぼの中に武家屋敷風の門が見えたら城跡です。この城門、由緒ある城門で栢山陣屋の裏門だそうです。旗本内藤氏が5700石の領主でした。現在の栢山小学校付近を中心に陣屋が構えられていました。案内板も設置されていますので、読んでみると良いでしょう。
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さて、菖蒲城ですが城跡を取り囲むイメージで塀があります。案内板を読むと、復元風城壁だそうで(苦笑)
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城跡は周囲より約1m高台なのですが、現在の遺構から往時の城を想像するのは困難です。
堀の名残は網の目のような河川や用水路でしょうか。野通川、附廻堀悪水路という名があるようです。実際に河川や用水路が堀の名残か判断できません・・・

当時は北、西、南が低湿地で、東が菖蒲の台地に行けるようになっていたそうです。

古河公方足利成氏は関東管領上杉憲忠を謀殺し、室町幕府と対立しました。康正元年(1455年)6月、今川範忠ら幕府軍の攻撃を受け鎌倉を追われ、この菖蒲で兵を集め古河に逃れたといわれています。
足利成氏は、康正2年(1456年)、家臣の金田式部丞則綱に命じて菖蒲城を築かせ、上杉勢に対して最前線基地のひとつとして重要視ました。
そして扇谷上杉氏の川越城に対抗したのでした。
古河公方側の古河城、忍城、関宿城、羽生城、野田城、菖蒲城による防衛線が確立したのですね。

城主の金田式部丞則綱ですが、近江六角、宇多源氏の末裔、佐々木氏の一族という説もあります。

「歴史ロマン 続・埼玉の古城址30選」では、菖蒲城の名前の由来のひとつとして、5月5日端午の節句の日に完成した説を掲載していますが、「端午城」、「こいのぼり城」にならなくて良かった(苦笑)
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by ckk12850 | 2008-09-23 06:30 | 久喜市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助