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道場館

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城名:道場館
別名:堀の内
城主:畠山重忠?
住所:埼玉県さいたま市桜区道場1丁目
遺構:?

まさかこんな場所に館跡があるとは思っていませんでした。
しかも畠山重忠ゆかりの地とは。知っていたのは菅谷館ですから・・・
道場館は新六問道路(57号線)沿いにあるマミーマートが目印です。

埼玉の館城跡によれば、建久年間、この地を領した畠山重忠の居館跡と伝え、東西340間、南北330間の広大な館としています。
近くに町谷の地名があり、館があった頃の交易の市が立った場所ではないかと推察しています。
住所は浦和市道場前189番地。遺構は空堀が一部残存ですが、何しろ40年前の資料ですから。埼玉の館城跡の旧住所表示は、金剛寺より南東の道場1丁目8番地付近のような気がするのですが、宅地化が進み空堀の状況も不明でした。
小さな社があったので、調べましたが手がかりは得られず・・・

念のため「埼玉の遺跡マップ」で確認したところ、道場1丁目9番地、8番地付近が館跡と考えて良さそうです。
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館跡に関連する寺院として真言宗智山派安養山金剛寺があります。かつて金剛寺域にあった道場天満宮に畠山重忠の名前がありました。
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「天神菅原道真公を祀神の道場天満宮
江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によると、このあたりに、昔、大伽藍(大きな寺院)がありましたが、保元の乱(1156)の兵火のために焼失しその後建久年中(1190年代)畠山次郎重忠が当地を領していたとき、土中から観音像を得、これがもとの大伽藍の本尊であったと考え、守護仏とし、一宇の道場を営んだということです。
これが、この天満宮の北側にある金剛寺の草創(はじまり)といわれ、当地の地名「道場」もこれに由来するといわれています。
天満宮も古くから金剛寺の境内の一角にあったものと考えられています。
(中略)
天満宮
平成10年2月吉日」
と記されています。
金剛寺、道場天満宮付近は、直接館跡推定地になっていないものの、持仏堂(道場)として発展したことを示唆する唯一の遺構のようです。
by ckk12850 | 2008-11-07 06:30 | さいたま市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助