愛宕山(ときがわ町関堀)

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城名:愛宕山
別名:―
城主:?
住所:埼玉県比企郡ときがわ町関堀
遺構:段築平場?

ときがわ町役場第2庁舎(旧都幾川村役場)近くにありながら、謎に満ちた山です。

さて訪問。
標高183mです。
地元の方も名前を良くご存知でした。独立峰で、南東の入口から山麓の道を南側へ向かって訪問。東側を歩いている途中で道が消えました(苦笑)
やむを得ず道が消える直前の東側から直登。道を見失い退却。段築平場が数段にわたって構えられていることを確認。無駄ではありませんでした。
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続いて北側の舗装道から訪問。お地蔵様がある場所で、ここから登りました。
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舗装道が数十m続きますが、舗装道が終わる手前の右側の階段を登るのが正規のルートのようです。
私は直進し、配水場らしき施設を通過、その後100m地点で西に向かって直登しました。ここでも段築を確認。
すぐに山頂らしき平場へ。
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愛宕神社社殿の背後から攻めたことに・・・

信仰の山で愛宕神社が山頂に祭られています。神社の社殿は北向きでもあります。
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山頂はハイキングの方もいらっしゃるのでしょうか、ベンチが置かれていました。木々も少し伐採されていますので、北西側の展望が可能でした。

4分で下山してしまったのですが、比高約80mです。

城郭として仮定しますと・・・
東側の湿地帯は、鞍部を利用した堀に見えました。
東側の段築(南側・西側は未確認)という、ある程度の条件を備えた山でした。恐らく人の手が加えられているのでしょう。山腹の段築とは何ぞやという手本のような遺構でした。

さて、城郭と仮定するヒントがもう1つあります。
関堀の東の地名である馬場。随所に見受けられた市川姓の墓地。

この答えは、愛宕山西側の瀬戸元上60番地の「皎円寺(皎圓寺)」にあるかもしれません。
建碑の辞が記された石碑がありまして、要約しますと・・・
「久寿2年(1155)、源(木曽)義仲の父、源義賢が大蔵の地で敗れた後、遺臣の荻窪氏が来住しました。後裔の荻窪六郎は、宇治川の合戦で戦功を立て天福元年(1233)、荻窪氏が荻日吉神社に馬場、市川氏、小川町の小林、横川、加藤、伊藤氏と流鏑馬を奉納しました。
荻窪氏は、義賢の菩提を弔うために端松山皎円寺を開山しました。
なお、江戸時代は天領となり、文政年間に御三卿の清水家の領地になったものの、幕末安政年間には再び天領となりました」
という内容です。
義賢の菩提を弔うのであれば、現在源義賢のものとされている宝篋印塔、なぜ移動しなかったのかな・・・

荻窪氏、馬場氏、市川氏の館跡がどこだったかという点も注目したいところです。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2009-01-03 15:02 | 比企郡ときがわ町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助