人気ブログランキング | 話題のタグを見る

吉田館

吉田館_c0051112_1395619.jpg

城名:吉田館
別名:吉田堀の内・堂山・吉田山?
城主:吉田氏?
住所:埼玉県川越市大字吉田87番地近辺
遺構:なし

概要:
車で川越市街から西に向かい、県道川越坂戸毛呂山線を走れば、やがて入間川に架かる雁見橋を渡ります。橋を渡ったら、最初のY字路を左に入り、県道川越越生線を走ると、川越西文化会館、東洋大学南側交差点、同大学のグラウンドと野球場、東武東上線の踏切を通過します。踏切を渡り、すぐに左折、さらに1つ目のT字路を左折すれば、堀の内の集落にたどり着きます。
農作業をされている方が多い、のどかな地域です。
まず、児玉党の出自である吉田氏の館が存在したのか、しなかったのか、これが問題です。

館跡を探すことが困難と思われましたが、奇跡的にアパート名でドミール堀之内が残っていたので、すぐにヒントがありました。堀の内という地名は、城跡のある場所なので城跡探しの際、非常に助かります。
堀の内とは、城、館、環濠集落、寺内町の地名です。関東地方に多く、この地名を見たら何らかの城館があった可能性が非常に高いといえましょう。紛らわしいのが環濠集落、寺内町の地名で、研究書によっては城跡にされてしまう場合があります。

聞き取り調査の結果は、次のとおりです。
1.現在でも堀の内という地名は、近辺のすべての方がご存知でした。
2.現在でも吉田姓の方が、堀の内に在住しています。
3.堀の内から、さらなる高台は、通称堂山とよばれています。
4.通称吉田山という地名は存在しません。
5.この近辺に城館が存在したという話は伝わっていません。
最終的な結論としましては、吉田氏は居住していましたが、土塁や堀を構えた館ではなかった可能性が高いと思われます。しかし、屋敷は構えていたと思うのです。
堀の内とは環濠集落のことだったのでしょうか。

歴史:
吉田氏の起源ですが、武蔵七党の1つ、児玉党の出自です。平安時代の関白藤原道隆の家系です。道隆の子、内大臣藤原伊周の、家臣または妾腹の子である有道遠峰が武蔵に下向、有貫主と称し、その子の有大夫弘行より一族は分かれました。
吉田氏の家系は、関白藤原道隆―内大臣藤原伊周―有貫主遠峰―児玉弘行―入西資行―小代遠広―遠平―俊平と続き、俊平が吉田に居住し、吉田小三郎と称したことに始まります。
吉田地区の土豪、すなわち開発領主であったのでしょう。しかし、具体的な業績については詳しく分かりません。
その他の児玉党は、庄、本庄、阿久原、吉島、島名、多胡、富野、竹沢、与島、小幡、大渕、倉賀野、後閑、新屋、片山、奥平、宿谷、富田、大類、大浜、鳥方、稲島、狛島、柏島、高山、白倉、矢島、浅羽、小見野、粟生田、大河原、高坂、越生、上野、真下、鳴瀬、黒岩、岡崎、塩谷、中条、奥、金沢、蛭川、今井、阿佐美(浅見)、二木、中山、荏戸内、小中山、久下塚、木西、四方田、小河原、若松、薦田、岩田、小山、下児玉、若泉、長岫、長岡、新生、堀籠、御名、宮田、山名、植木、今井氏と分かれます。児玉、大里、秩父郡を中心に一族は繁栄したそうです。どこかで聞いた名字がたくさんあります。

埼玉の館城跡によれば、一切が不明の城だそうです。通称吉田山というそうですが、堀の内近辺に在住されているすべての方が聞いたことはないと話されていました。館あるいは、屋敷があったという伝承もありませんでした。
堀の内の西方面の白髭神社まで足を延ばしてみました。ここでも手がかりはまったく得られませんでした。
堀の内在住の吉田様に話を伺うことができました。しかし、残念なことに児玉党の子孫であること、屋敷を構えていたこと等、すべてについて伝承がありませんでした。
吉田館_c0051112_22482686.jpg

一方、埼玉県史等の一部の資料によれば、1368年の武蔵平一揆のとき、河越氏は河越館ではなく、この吉田堀の内を拠点としたのではないかと指摘しています。

遺構:
結局、何もありませんでした。堀の内には、確かに堀がたくさんあります。この堀の多くは、さらなる高台の堂山方面からの水害を守るために造られたとのことです。
堀の内に屋敷を囲む堀を見つけました。早速、在住されている方に話を伺うことができました。
「最近掘った堀ですよ」
と教えて頂きました。
「いつ頃ですか?」
と尋ねたところ、
「2、3代くらい前かな」
と話されていました。
京都では寺の住職が、先の戦いで寺院が焼失して・・・という話があり、第2次世界大戦の話かと思いきや、1467年の応仁の乱の話であったという笑い話のような実話がありますが、ふと吉田地区も同じ時間の流れを感じました。
by ckk12850 | 2005-03-12 13:13 | 川越市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助