土屋忠治郎館

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城名:土屋忠治郎館
別名:土屋氏陣屋
城主:土屋忠治郎・土屋氏
住所:埼玉県入間市宮寺2324番地・長久寺
遺構:?

「埼玉の館城跡」では、長方形3300平方メートル(1000坪)の広さの館としています。
築造年代は江戸時代初期、旗本の土屋忠治郎、土屋成勝、他代々が居住したと記されています。

国道16号が目の前に見えてしまい、驚いてしまいました。
圏央道入間ICから国道内回りが大渋滞。何かと思ったら三井アウトレットパーク入間の渋滞でした。平日の10時前なのに。
内回り走行時、入間IC近くでは右車線走行すべきでしょうなぁ。

国道16号から寺の正面まで少し道に迷って到着。
寺の墓地は本堂の西側。土屋氏歴代の墓地は本堂の北側。
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案内板がありますので助かります。
「旗本土屋氏の墓付墓石一基
市指定有形文化財(史跡)
指定年月日 平成13年7月1日
これらの墓石は、旗本として徳川氏に仕えた土屋氏の一族(向かって左から6代利穀、10代利溥、2代利次、7代利置、付墓石=家来、9代利懐、初代利常、8代利族、3代利勝、4代利意、5代利起)のものである。
土屋氏は利常が初代旗本に登用され、寛永2年(1625)に中野村(現入間市宮寺)の187石を初めとする570石余りの領地を拝領した。
利常は、没後二本木の地福寺(現在廃寺)に葬られたが、後に長久寺(この場所)に移葬されている。
2代利次は、中野村北部の土屋新田(現宮寺北中野)を開墾し、その一角に正保2年(1645)浄悦山長久寺を建立して、土屋氏の菩提寺と定めた。なお、利次の次男成勝が出家して、長久寺の第1世住職栄俊となっている。また、利次は、寛文4年(1664)に奈良奉行となって、大和国平群郡額田部村(現奈良県大和郡山市)に5百石の知行地を加増されるとともに、額田部村森川重左衛門より馬鳴大士像を寄進され、これを長久寺に奉納している。現在も馬鳴大士の祭りが毎年4月下旬に行われている。
これらの墓石は、当地の近世旗本の支配の様子を知る上で貴重な文化財である。
平成15年3月12日
入間市教育委員会
入間市文化財保護審議会」
と記されています。

墓石の間隔は広めであり、横一列に並べられていました。今まで見た限り、最大級の広さです。改葬されているか不明ですが、広大な館(陣屋)または墓地であったことでしょう。
墓石以外の遺構は、現在の状況から察する限り確認することは困難です。鍵の手状に残る寺の入口付近は、何か理由があるのでしょうか・・・
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by ckk12850 | 2009-06-01 06:30 | 入間市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助