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葛貫別当館

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城名:葛貫別当館
別名:河越能隆館
城主:河越能隆
住所:埼玉県入間郡毛呂山町葛貫646番地
遺構:山王神社・桜の木跡

参考資料は「毛呂山郷土史研究会 あゆみ第5号(昭和53年度)」から。
偶然、インターネットに掲載されていました。

>葛貫地内県道沿い、葛川のほとりに古い小さな、山王社が建立されているが、(里人は山王様と呼ぶ)宿谷氏が宿谷荘開発の成就を願って、萩日吉神社(都幾川村)を勧請したものという。(略)
山王社の後に大きな桜の木が一本あるが伝えでは、秩父平氏の一族、河越二郎太夫重能の子能隆が嫡子太郎重頼に家督をゆずりこの地に隠棲し葛貫別当と称したといわれるが、この能隆の墓であると伝えられる。(略)
隠棲場所のいい伝えはないが推測すれば県道東に古い観音堂があったと聞くのでその辺ではなかろうか?(略)
山王社前の小径は宿谷氏館跡西に通じる鎌倉街道の一部である。

これだけ資料があれば十分。ついでに略図まであって完璧のはず!

河越に拠点を置いた秩父氏の家系は、秩父武綱―重綱―重隆―能隆―重頼(以下略)ですが、重隆の頃、河越姓を名乗り河越館を構えています。

まずは山王社。
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小さな小さな神社で・・・何人か尋ねてしまいました。県道飯能寄居線(30号線)にほぼ面しています。
桜の木が不明で、近所の方に案内を願いました。何と枯れてしまったそうです。社殿の裏あたりにあったそうです。河越氏に関する伝承は一切不明でした。
河越太郎重頼の墓は川越市の養寿院にありますが、父上の墓は枯れた桜の木の跡というのは理解し難く・・・
墓が先か、山王社が先か、それも謎。

念のため、社殿前の伝鎌倉街道を撮影しておきました。
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この道は、宿谷氏館~毛呂山総合公園(岩沢地区)の山中を経て~宿谷氏館本拠地まで通っていたそうです。

県道東側は曖昧な道で、新たな道路も建設され、八高線に遮られというハンディもありながら、概ね田波目城方面まで続いていた可能性が捨てきれません。

さて、具体的な館跡については、県道東に古い観音堂があったと聞くのでその辺ではないかという推測に基づき、略図を頼りに探してみたら、観音堂らしき建物がありました。
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ここが推定地であるということですが、非常に説得力がないようにも見受けられ・・・
個人的な見解としては山王社から県道を挟んだ東側一帯を推定地と考えたいところです。
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葛川の南側か北側かということになるのですが、鎌倉街道が葛川の北側であれば、館も北側(山王社側)と考えるのが自然ではないでしょうか。
by ckk12850 | 2009-09-01 16:25 | 入間郡毛呂山町【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助