今成館
2005年 04月 01日
城名:今成館
別名:今成屋敷
城主:川田備前守今成
住所:埼玉県川越市今成3丁目・推定
遺構:用水路?
概要:
入間郡誌によれば、安楽寺(今成3丁目18番地6)の東に続く、広潤なる宅地の場所であると記されています。入間郡誌で続くという記載が地続きであると解釈すれば、安楽寺の山門前一帯の住宅地が推定地となります。
唯一の史料である新編武蔵風土記稿では、屋敷跡が「村の西」であるとしています。村の西は小ヶ谷村に接していることを考えると、安楽寺近辺は有力候補地となります。
埼玉県史等、複数の資料では熊野神社周辺を推定地としています。当時の地図を見ますと、熊野神社は今成村の中央になってしまうのです。
また、川田氏(分家筋)が、現在も安楽寺の門前に屋敷を構えています。見逃せない事実です。
歴史:
新編武蔵風土記稿の今成村、今成屋敷跡の項によれば、
「村の西にあり、この村を開墾した川田今成が住んだところである。今成は備前守と称し、北条新九郎(小田原北条氏)の子孫と伝わる。新九郎は、北条早雲か、北条氏綱か、詳しくは分からない。今は百姓喜太夫が子孫と称して住む。氏を川田として三ツ鱗(小田原北条氏の家紋)を使う。また、川越蓮馨寺の開祖大道寺駿河守の伯母、蓮馨尼がここに寄留したという。これは北条の縁の家だろうか、とにかく詳しく分からない」
と記されています。
入間郡誌によれば、川田備前守今成の子孫が住んでいましたが、明治時代末期、川越の街へ引っ越したと記されています。
なお、安楽寺の門前に住していらっしゃる川田様に屋敷跡地を尋ねましたが、分からないとのことでした。一部の資料によりますと、子孫の方は、現在も川越市にお住まいとのことです。
遺構:
現在の推定地は宅地であると思われます。宅地の周辺は用水路が多く、何らかの形で堀にしていたのではないでしょうか。
新編武蔵風土記稿に記載されている今成地区の屋敷、月吉館(月吉屋敷)、日吉館(日吉屋敷)、神田館(神田屋敷)も参考にどうぞ。
by ckk12850
| 2005-04-01 01:36
| 川越市【城跡】