人気ブログランキング | 話題のタグを見る

八幡神社(狭山市)

八幡神社(狭山市)_c0051112_1924018.jpg

名称:八幡神社
住所:埼玉県狭山市入間川3丁目6番地14

元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は、群馬県の生品明神で旗を挙げ、笠懸野~八幡荘~菅谷~将軍沢(10日)~笛吹峠~入間川~小手指ヶ原(11日)~久米川(12日)~分倍河原(15、16日)~鎌倉(18日)と攻め、22日には鎌倉の東勝寺に北条高時をはじめ一族280名あまりを自刃に追い込んでいます。15日間の行程でした。

太平記によれば元弘3年(1333年)5月8日、新田義貞は鎌倉の北条高時を攻めるため、群馬県新田郡新田町生品明神で旗挙げをし、10日には入間川の北岸に到着。
一方、鎌倉の北条方では新田方を迎え撃つため桜田貞国を将として鎌倉街道を北進し、5月11日、両軍は小手指ヶ原で激しく戦いました。
しかし勝敗は決せず新田方は入間川に、北条方は久米川に退きました。
翌12日、新田方は先制攻撃をかけて久米川の陣を攻め立てたので北条方は敗れて府中の分倍河原に退きました。そして15日新田方が府中に押し寄せたところ、北条方には援軍が来たので新田勢は敗れて狭山市掘兼まで退き陣を立て直しました。そして16日新田方は再び分倍河原の合戦で勝利を得て、18日には藤沢市村岡で戦い、22日ついに新田方は鎌倉を攻めたという、攻めたり退いたりの連続という訳で。

「八幡神社縁起」では、元弘3年(1333年)5月、新田義貞が鎌倉幕府を攻めるため兵を進めた際、戦勝祈願のために参拝したそうです。
境内には義貞が馬を繋いだという「駒つなぎの松」があるとか。

訪問の目的はそれだけです(苦笑)

徳林寺周辺(入間川御所)に在陣したという足利基氏も参拝したであろうに、その基氏より義貞の伝承が強く残ることに興味を持ち・・・
別名が「新田の八幡宮」だし!
確か、この神社も足利基氏の入間川御所推定地だったような気がしましたが・・・
境内から見下ろす入間川の眺めは最高。陣を構えるには最適だとは思いますが、長期間の在陣では気が抜けてしまうこともあるし、高台より平地が住みやすいとか!?

本殿の東側に、「新田義貞駒繋の松」という立て札があります。
八幡神社(狭山市)_c0051112_19253976.jpg

松は枯れてしまったのでしょうか、切り株だけのような(汗)
by ckk12850 | 2010-04-27 19:25 | 埼玉県神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助