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増田館

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城名:増田館
別名:元境内遺跡
城主:増田四郎重富
住所:埼玉県熊谷市野原623番地(文殊寺)
遺構:土塁・空堀

まったく迷わずに訪問可能です。「曹洞宗 文殊禅寺」の看板が目印です。

「埼玉の館城跡」では、大里郡江南村野原境内623番地、館または城としています。
城主は増田四郎重富。
晩年に来住し、文殊寺を再興し、長享元年(1487年)に同寺で没したそうです。

文殊寺は野原の文殊さま、知恵の文殊寺で知られています。丹後の切戸、米沢の亀岡、武州野原は日本三体文殊とされています。「三人寄れば文殊の知恵」の諺どおり、文殊菩薩は知恵の仏様です。
鎌倉時代に関東地方の平和を願って建立され、五台山能満寺という天台宗の古刹でした。
文明13年(1481年)、火災にあって大部分が焼失。300m西の立正大学運動場付近に能満寺谷という地名が残ります。
同15年比企郡高見の高見(四ツ山)城主増田四郎重富が再建し、禅宗に改め、五台山文殊寺と称しました。
毎年2月25日には、「文殊尊大縁日」と称して多くの人出で賑わいます。

現在、宗派は曹洞宗となり、仁王門、鐘楼、本堂等が残ります。
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訪問した日は平日の午前中。数組の参拝客しかいませんでした。
知恵袋と鉛筆を購入。子どもの入試を控えていたので、合格祈願と城館訪問の一石二鳥(笑)

遺構ですが、西側、北側の堀がL字形に残っています。これが外堀のようです。

本堂の裏手(西側)には、直線距離で計測を諦めるほど長い空堀と土塁がありました。堀の深さ1m弱、土塁の高さ2m弱でしょうか・・・
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西側の土塁はそのまま北に続き、直角に曲がり、北側の堀に続いていました。
手入れが良く保存状態も良いので、季節を問わず訪問できるでしょう。

北側の空堀は、全体的に手入れが甘く写真を撮っても何だか不明で・・・
一部は二重になっていて、一部土橋が残っていました。念のためチェックポイント。
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それにしても広い外堀です。北側の堀を歩いている時は、本堂を見失いました。
文殊寺はどこですか!?・・・なんて聞きたくなってしまうくらいの広さでした。

ちなみに本堂裏に内堀があるようですが、確認を忘れて素通りしました。
増田四郎重富の墓もあるようですが、これは自宅の復習時に判明。

「埼玉の遺跡マップ」では、元境内遺跡と称し、遺構概要は土塁堀(増田館)、古墳、古墳跡、伝熊満寺(正しくは能満寺)跡。遺物概要は経石、渡米銭、五輪塔と記されています。
やっぱり広い!
by ckk12850 | 2010-10-01 06:38 | 熊谷市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助