成沢館
2010年 10月 20日
城名:成沢館
別名:静簡院遺跡・成沢城
城主:成澤越前守隼人正義佑・上杉憲盛
住所:埼玉県熊谷市成沢・静簡院
遺構:土塁・空堀
「埼玉の遺跡マップ」では、静簡院遺跡と称し、集落跡、古墳群、城館跡。立地は山林、畑、宅地。遺構概要は土塁、堀。遺物概要は古墳跡、土塁、堀一部、成沢館と記されています。
「埼玉の館城跡」では、成沢館と称し、土塁、空堀とも一部現存、静簡院は上杉憲盛の開祖する所で、憲盛は当寺を居館とし、後に一寺を創建したと伝えるが真偽不明であると記されています。
目印は静簡院。カーナビにも載っているので楽勝で到着です。
北側、南側から見る静簡院は比高数mの台地上にあり、存在感たっぷりです。
いきなり門前に案内板がありました。
「靜簡院
所在地 熊谷市成沢
(略)
古くは天台宗の寺で浄閑寺と称し、当地では有名な寺であったが一時衰退した。その後、大永5年(1525)に成澤越前守隼人正義佑が、この地に武蔵成澤城を築城したが、この城は、関東管領上杉憲政の保護下で甲斐の武田信玄に対応するため、甲斐に通じる間道の要衝に築城したものであった。義佑戦死後は、上杉一門の武将が守備してきた関係で、深谷城主上杉三郎憲盛により現在の靜簡院が創建されたものである。開祖である憲盛の墓が寺の裏に奥津城としてあり、浄閑寺跡の石垣も現存している。
(略)
平成11年12月
埼玉県」
と記されています。
奥津城が城かと思って探そうとしたら「おくつぎ」と読むようで、墓所という意味のようです(汗)
山門を通り抜け、本堂前へ。
本堂の裏に土塁が残されていました。
虎口のような遺構もありましたが・・・意味不明。
西側にも土塁の名残のような遺構がありました。
館というより城レベルだったのかもしれません。
ちなみに憲盛の墓、浄閑寺跡の石垣は見落としました(苦笑)
by ckk12850
| 2010-10-20 17:30
| 熊谷市【城跡】