
城名:藤原大納言遠峯、季綱邸・平将門内裏
別名:―
城主:藤原大納言遠峯、季綱・平将門
住所:埼玉県入間郡越生町西和田・春日神社
遺構:?
JR八高線が境内スレスレに通過するので意外と驚きます。
駐車場があるので、ゆっくり訪問できますが、どんな神社仏閣でも一応は案内板等の縁起をチェックしなければいけないと思い知らされた場所です。
駐車場に案内板がありますので、重要な部分はそのまま抜粋。
「(略)
春日神社 由緒
延暦元年(782年)創建
当地内裏山獅子岩の傍らに祭祀されたるを、征夷大将軍坂上田村麻呂 東夷征伐の際現在の地に遷し宮殿を増築し内裏大明神と称す。平将門が内裏を置いたとされる。後 延喜年中、常陸大掾 平国香(将門の伯父)が修繕、松山城主上田能登守の再建を経て、元禄4年春日神社と改称し、越生十六郷の総鎮守と定むる。
(略)
内裏大明神と称するは藤原季綱公、越生郷に居住し阿諏訪山に遊猟せし時、氏神、秩父郡高山の峰に光を放ち、季綱公これを謹み拝し当地に祭れるとし伝承されている。
(略)」
ここまで歴史上の重要人物が登場すると、どうにもコメントができなくなってしまうような(汗)
それぞれ登場した人物のプロフィールは把握できます。例えるならば、その人物をミキサーに入れて、ミックス歴史ジュースを作ってしまうというか(苦笑)
把握できるからこそ、時代のズレも生じています。
平将門の内裏があって、伯父さんの国香が直してくれた!?
藤原遠峯は児玉党!?
そして藤原季綱は毛呂氏!?
鳥居、参道、随神門、舞殿、拝殿があります。

随身門ならぬ随神門の右側に石碑があります。

「史蹟
藤原大納言遠峯・季綱邸蹟
桓武平氏新皇 平将門 内裏蹟」
全体的に深く考えない、これがポイントでしょうか(苦笑)