太田道灌陣所
2015年 03月 01日
城名:太田道灌陣所
別名:―
城主:太田道灌
住所:埼玉県東松山市上唐子
遺構:不明
新編武蔵風土記稿、上唐子村(現東松山市上唐子)の総説から。
「関東合戦記の永享12年村岡合戦の文に、長棟庵主(関東管領上杉憲実)は7月8日、神奈川を出発し、野本、唐子に逗留し、8月9日、小山庄祇園城に到着とある。野本も近い場所の村名なので、唐子は当村であることは明らかだ。」
ここからが本題。
上唐子村の小名として「比企野」の地名があります。
「比企野 村の北をいい、当所に白山社があり(略)この地は古くは太田道灌の陣所となったことがあるという。」
と記されています。
石碑によれば、創建は寛文年間(1661~1672)、その後、社殿は享保年間と安政年間に建て替えられ、昭和52年に現在の社殿となっているそうです。
太田道灌の陣所の後、白山神社が創建されたということになります。
太田道灌の手がかりはありませんでしたが、ここ以外あり得ない!
永享年間の頃から関東管領が逗留できる場であり、何かと便利だったのでしょうか。
菅谷城、青鳥城、松山城は何か関係があったのでしょうか。
上唐子村の小字は、原屋敷、大林屋敷、比企野と気になる地名が多いです。
by ckk12850
| 2015-03-01 07:00
| 東松山市【城跡】