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影隠し地蔵(源義高・捕らわれの地)

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名称:影隠し地蔵(源義高・捕らわれの地)

国道16号、入間川3丁目交差点を日高方面に進むと、新富士見橋を渡ります。
渡り切って、1つ目の十字路を直進、2つ目の6差路の通称「信濃坂」の途中、狭山市柏原204番地1に影隠し地蔵(源義高捕らわれの地)があります。
俗に身隠し地蔵とも、かくれ地蔵ともいわれているそうで。

源(木曽)義仲の嫡子、源義高(清水冠者義高)は、鎌倉の源頼朝に人質として送られました。
その待遇は、源頼朝と北条政子の娘、大姫と結婚を許されており、将来は安泰のはずでした。
ところが、義仲が、源頼朝の命によって源義経、源範頼に討たれると、身の危険を感じ、従者6人と、父義仲の生まれ故郷の武蔵国嵐山町大蔵に逃亡しました。あわよくば、そのまま木曽まで逃亡するつもりだったのでしょう。
1184年(寿永3年)、4月21日未明のことでした。

しかし、頼朝の追手が迫って来ました。一時は、このお地蔵さんの影に隠れて難を逃れた義高ですが、とうとう堀藤次という御家人に捕らわれてしまったという伝説が残ります。
そして堀藤次の郎党、藤内光澄によって斬られ果てたとのことです。わずか12歳の少年だったとのこと。

ここは、鎌倉街道沿いであり、信濃(長野県)に通じるルートだったのですが、地元の人によって、今でも手厚い供養がなされているそうです。
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鎌倉武士物語によれば、通りがかりの土地の人が、
「よくお参りしてやって下さいよ。義高さんもね、ずっとここに隠れていればよかったんだよ。それがチョコチョコ動きまわったから捕まっちまうんだ。やっぱり子供なんだねえ」
と言ったとか・・・
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対岸の義高終焉の地(清水八幡)、比企郡嵐山町、源義賢の大蔵館、源義仲の伝木曽殿館も参考にどうぞ。
地図はこちら
by ckk12850 | 2005-08-07 07:00 | 街道【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助