聖天山歓喜院
2016年 01月 01日
城名:聖天山歓喜院
別名:実盛館
城主:斎藤実盛他
住所:埼玉県熊谷市妻沼1627
遺構:土塁・空堀
「城郭資料集成 中世北武蔵の城」では、城館として扱っています。
妻沼町、聖天院館として現状は寺院・宅地、自然堤防。遺構として堀・土塁。
聖天山歓喜院だから聖天山館とか歓喜院館の間違いでは!?
「日本城郭体系第5巻」では、実盛館として聖天山歓喜院が館跡の一部であろうとしています。
居住者は長井斎藤氏3代、実遠、実直、実盛であり、現在は妻沼小学校、大我井神社、聖天山、歓喜院等の敷地になっているとも。
武州妻沼、聖天山。「妻沼の聖天さま」として親しまれています。
「道の駅めぬま」で頂戴したパンフより。
聖天山は平家物語、保元物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に勝れた義理人情に厚い人柄が伝えられている。斎藤別当実盛公が、当地の庄司として、ご本尊聖天さまを治承3年(1179)にお祀りしたのに創まる。次いで実盛公の次男斎藤六実長(宗光ともいう)が出家して阿請房良応となり建久8年(1197)に本坊の歓喜院を開創した。
平成24年に国宝に指定された御本殿。
拝殿は無料ですが、装飾の素晴らしい奥殿は有料です。
受付時間10時~16時、入場料(入場志納金)1名700円以上!
奥殿34㎡、相の間27㎡、拝殿127㎡、よりなる廟型式権現造りで、奥殿は八棟造り。建造物の各部分、各壁画を総彫刻で装飾しています。
御本殿の建築は、江戸幕府作事方棟梁として活躍した平内政信の子孫、妻沼の工匠林兵庫正清の設計によって竣工、25年の歳月を費やし、その子正信に引き継がれ宝暦10年(1760)に完成したとか。
斎藤実盛の銅像も見逃せません。
同じくパンフレットから。
実盛公銅像は、平成8年開創818年御開扉の記念事業として実盛公銅像が建立され、サウンドモールからは尋常小学校唱歌「斎藤実盛」が流れ、歌で実盛公の遺徳を賛えている。
門前や参道の雰囲気がいいです。だんご、稲荷寿司、雪くま・・・
時間があれば、ゆっくり歩いてみたいものです。
遺構の土塁や堀は未確認です。
by ckk12850
| 2016-01-01 07:00
| 熊谷市【城跡】