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大堀山城 その3

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城名:大堀山城
別名:牛原南の遺構
城主:扇谷上杉氏?
住所:埼玉県川越市大字下広谷332・333番地近辺
遺構:土塁・空堀

今回で3回目の紹介となります大堀山城。ここに平成16年3月23日、埼玉県の指定史跡として「大堀山館」の看板が立てられたので紹介します。
案内板は、城跡南東隅と、城跡北側に設置されています。
1回目の紹介2回目の紹介を読んで頂ければ、概略が分かると思います。

今から約500年前の戦国時代に築城されました。一辺約200m、三重の堀と土塁で囲まれた方形の館跡としては、県内でも最大級であり良好な保存状況です。
関東の覇権を巡って戦いがあった戦国時代、交通の要衝を押さえることは、軍事面、経済面から重要なことでした。
この館跡の周辺は、東に南関東と北関東を結ぶ鎌倉街道が通り、西の県道川越片柳線は扇谷上杉氏の川越城と鉢形城(寄居町)を結ぶルート。そして山内上杉氏の五十子陣(本庄市)を結ぶルートとして重要視されていました。

この「大堀山館」は、戦国時代の関東における主要な2つのルートが交わる重要な拠点を押さえる役割を担っていたものと考えられているそうです。

案内板には縄張図が記載されています。実に丁寧ですが、城内入口は縄が張られて探訪することができなくなってしまいました。
少し残念。恐らく発掘調査が行なわれているのでしょう。

現在、15世紀後半、川越城を築いた扇谷上杉氏が川越城の北を守る陣所として築いた説が最有力です。
第3次調査の結果、井戸から長享2年(1488年)銘の板碑が発見されました。また、井戸底から蘇民将来之子孫也と記された「蘇民将来符」が発掘されました。井戸を廃絶する儀式に伴って埋められたと考えられています。
by ckk12850 | 2005-08-18 07:57 | 川越市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助