源範頼墓(太寧寺)
2016年 10月 20日
名称:源範頼墓(太寧寺)
住所:神奈川県横浜市金沢区片吹61番地5
埼玉県には源範頼伝説があります。
居館があったとされる源範頼館。
稚児層のときに育ったという吉見観音。
居館と墓があるとされる石戸堀の内(東光寺)。
これだけの伝説がありながら、本命は横浜市金沢区太寧寺ではないかと思っていたのです。
道に迷いました。寺が見えるのに到着できない!
国道16号線から京急の踏切を越えられない!
結局、能見台駅前を通過、片吹団地から石段を下りて訪問です。片吹団地の掲示板には「箱根八里は馬でも越すが、片吹団地はバスで越す」なんて標語が貼られていました。
さて、寺は住宅街の中にあります。
たまたまボランティアの方がいらっしゃったので源範頼の墓を尋ねたら案内してくれました。
本堂左側の一番奥にありました。
横浜市地域史跡
伝源範頼の墓
平成6年11月1日登録
所有者 宗教法人太寧寺
所在地 金沢区片吹181番地2号
鎌倉初期の武将源範頼は、源義朝の六男で、源頼朝の弟です。範頼は義経と同様に兄頼朝に疑われ、伊豆修禅寺に幽閉され、梶原景時らの討手を受け最期を遂げたことになっていますが、太寧寺の寺伝では鉈切まで逃れて、海に向いて建つ太寧寺へ入って自害したとされます。
太寧寺は、はじめ瀬ヶ崎172番地(現、関東学院大学付属小学校々地内)にありましたが、昭和18年、追浜飛行場拡張工事のため、現在地に移転し、裏山にあった伝源範頼の墓も、これに伴い移転しました。
また、太寧寺の名は範頼の法名「太寧寺殿道悟大禅定門」から付けられたもので、当寺には範頼公の位牌や画像などが寺宝として遺されています。
平成7年3月
横浜市教育委員会
埼玉県石戸の東光寺も、この太寧寺も説得力がありますが・・・
位牌、画像が残っていれば太寧寺がやや有利かも。
太寧寺も「伝」であり、源範頼の墓は謎といわざるを得ません。
地図はこちら
by ckk12850
| 2016-10-20 07:00
| 古墳・墓【歴史観光】