深谷城

c0051112_1839584.jpg

城名:深谷城
別名:木瓜城
城主:深谷上杉房憲、憲清、憲賢、憲盛、氏憲
住所:埼玉県深谷市元住町
遺構:堀・復興石垣・復興塀

深谷に城があることは知っていましたが・・・ナビに表示!
城址公園をとなっています。
その他、公共施設等。

公園内に案内板があります。
深谷城跡
深谷城は、唐沢川、福川などに囲まれた低湿地に築かれた平城である。
室町時代中期の康正2年(1456)、深谷上杉房憲が、古河公方の侵攻に備えて、築城したと伝えられる。
土塁や深い濠を巡らした城は、面積約20ヘクタール、その形から木瓜城とも呼ばれた。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻めによって開城するまで、憲清、憲賢、憲盛、氏憲と、134年間にわたり、戦国時代の北武蔵における上杉方の支城であった。
徳川家康の関東入国後は、徳川一族や譜代家臣の居城であったが、寛永11年(1634)、廃城となった。
現在は、深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみである。

公園内を軽く散策。
c0051112_18411554.jpg
復興された石垣、塀等を見ながら本物の遺構探し。

童謡「みかんの花咲く丘」の作詞で知られる加藤省吾の歌碑が、城址公園東側の富士浅間神社境内にあると知り訪問しましたが・・・
c0051112_18421419.jpg

何と遺構の濠がありました。
c0051112_18422955.jpg

富士浅間神社
この社の祭神は木花開耶姫命 二二杵尊で 社宝は宗源宣旨と宗源趣旨である
明治以前には智形神社とよばれ、深谷城内に鎮守としてまつられた五社の一つで、永享12年(1440年)勧請と伝えられている。江戸時代 寛永年間深谷城主酒井讃岐守が再興した。
深谷城は、上杉房憲が康生2年(1456年)古河公方との戦いに備えて築城したもので、天正18年(1590年)豊臣秀吉の関東攻略により落城した。江戸時代には、松平、酒井氏が居城したが、寛永11年(1634年)廃城となった。この城は低湿地に取り巻かれた平城で 社をめぐる池と水路は深谷城外濠の名残をとどめている
昭和59年3月
深谷上杉顕彰会

偶然とはいえ、これは必見。
c0051112_18425548.jpg

少し保存のため、人工的な手が加えられています。城址公園が整備された中、遺構の残存状況は良好です。

深谷城は、庁鼻和城(現在の国済寺)から移転しています。案内板に表記がないのは残念。ここで知ったら、庁鼻和城まで足を延ばしたのに・・・
地図はこちら
[PR]
by ckk12850 | 2018-01-01 07:00 | 深谷市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助