江田館

c0051112_18452057.jpg

城名:江田館
別名:―
城主:江田行義・矢内四郎左衛門
住所:群馬県太田市新田町上江田町925番地他
遺構:土塁・堀

田園地帯の南西から見る江田館は圧巻。すぐに城跡と判明しました。
どうやら木崎台地の西端になるようです。
駐車スペースは5台程度。
近隣ナンバーの車が2台駐車していました。

案内板があります。
国指定史跡
新田荘遺跡
江田館跡
所在地 群馬県太田市新田町上江田町925番地他
指定 平成12年11月1日
江田館跡は反町館跡と共に太田市の中世平城の代表的な遺構で、地元で「堀之内」とよばれる本丸跡は、東と西の側面に「折」を持ち、東西約80m、南北約100mの土塁と堀を巡らしています。
虎口(出入口)は南西面と東面にあり、土橋となっています。外郭には、本丸の西と南を「カギ」型に囲んで「二の丸」があります。本丸から北東に向って、「黒沢屋敷」、「毛呂屋敷」、「柿沼屋敷」と呼ばれる屋敷跡があり、土塁と堀の一部が残っています。
江田館は、江田行義の館跡と伝えられています。行義は、新田義重の子・義季の四世の孫で、新田義貞の鎌倉北条氏討伐に参加し、極楽寺坂口の大将として軍功をたてました。西国を転戦後、備後国(広島県)で農業を営み、以後足利氏の目をしのび、9代にわたり姓を「守下」に改めていましたが、10代目の大膳が、文禄年間(1593年頃)祖先のこの地に移転してきたと言われています。戦国時代には、反町館跡とともに金山城の出城として改修され、金山城主由良氏の四天王の一人、矢内四郎左衛門の居城になりました。天正年間には、後北条氏が金山城攻略に先立ってこの出城を奪い、金山城攻撃の拠点としました。その後、北条氏滅亡(天正18―1590年)とともに廃城となりました。
本丸中央の土塁の中には義貞様と言われる石宮があります。江田氏子孫が義貞、行義を合祀し、氏神としたもので、明治6年(1873)新田一族末裔達が太田金山山頂にこれを祀り、社殿を造営して新田神社としました。
地域住民が、先祖の地として館跡を保存に協力してきたため、中世豪族の館跡として規模、構造ともに原形を良く残しています。
平成24年6月
太田市教育委員会
案内板の脇に木箱がありましたが、中は空でした・・・

中世の館の大きさに驚かされますが、一般的な大きさの半分程度のコンパクトな館です。総領家クラスの館は二町四方(一辺約200m)になるそうで、例えば反町館は120m×73m、この江田館は100m×80mと、さらにコンパクトなのです。

外郭は戦国期の拡張でしょうか・・・
ここまで保存状態の良い館も珍しいです。

土塁、折りのある堀等、見どころもあり。
c0051112_18455980.jpg

全体的にきれいにまとまった感があります。
c0051112_1846226.jpg

うっかり見逃したのは本郭内の「ぎてい(義貞)さま」と呼ばれる祠と周辺の屋敷でした。
地図はこちら
[PR]
by ckk12850 | 2017-11-01 06:00 | 日本全国【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助