鴻巣御殿

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城名:鴻巣御殿
別名:御遊獵御旅館
城主:小池長門守、隼人助・徳川家康、秀忠、家光
住所:埼玉県鴻巣市本町4丁目8番地
遺構:東照宮・手水鉢

新編武蔵風土記稿には次のように記されています。(意訳)
鴻巣宿
(略)
小池三太夫の家伝に、祖先の長門守という人が岩槻の市宿というところに住んでいたが、天文20年、北条氏康の命を受け、当所に砦を築き、同年9月1日に移り住んだ。原野を開拓し、市宿新田と名付けたが、(略)その後、慶長7年になって宿駅を当所に移し、鴻巣町と呼んだ。
また、勘右衛門(先祖は深井氏)の家伝には、(略)文禄2年、当所に御殿を建て、(略)伊奈忠次から三太夫の祖先の長門守の子、隼人助に證状(感状)があり、思うに御遊獵御旅館のため御殿を普請したからであろう。

御殿跡
今は畑となっている。文禄2年の頃、御殿を取り立て(普請)したといい、(小池)三太夫の祖先で三郎左衛門の弟、加藤喜兵衛、大塚将監等が御殿番だったことがある。後、御殿は廃され元禄4年に除地となった。

まずは駐車場探しです。「市営駐車場 パーキング・こうのす」に駐車しました。
午前9時から午後6時まで、1時間無料です。鴻巣宿の高札場跡(現在の三木屋)、本陣跡が目印です。
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細い路地に入ります。
御殿は街道沿いではなく、100mほど西側に構えられていました。
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鴻巣御殿の案内表示があるため迷いません。
祠の入口には「日本一小さい東照宮」の表示があります。
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案内板もあります。
鴻巣御殿跡
鴻巣御殿は文禄2(1593)年、徳川家康によって鷹狩や領内視察などの宿泊や休憩所として建てられ、その敷地は一町四反歩(約1.4ヘクタール)に及んだ。その後、秀忠、家光の三代にわたって将軍家の鷹狩の際の休泊所として利用されたが、寛永7(1630)年頃を最後として、以後使用されなくなった。明暦3(1657)年の江戸大火後は、その一部を解体して江戸城に運ばれ、天和2(1682)年頃には残りの建物も腐朽して倒壊し、元禄4(1691)年には御殿地に東照宮を祀り除地とした。その東照宮も明治30年代に鴻神社に合祀され、旧御殿地はその後民有地となった。
最近まで鴻巣御殿の比定地も明らかでなかったが、平成6年の試掘調査によってその一部が確認された。
鴻巣御殿は「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に描かれ、その様子を知ることができる。
平成7年8月
鴻巣市教育委員会

東照宮の祠の前にある、小池軍八郎が享保12年に寄進した手水鉢も重要。
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「享保十二未歳三月朔日 奉納手水石一基 小池軍八郎」と刻まれています。チェックをお忘れなく。
地図はこちら
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by ckk12850 | 2018-03-01 07:00 | 鴻巣市【城跡】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助