常在寺

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名称:常在寺
住所:岐阜県岐阜市梶川町9番地

駐車場がありませんでした。岐阜公園駐車場から徒歩圏内です。

正式名は、鷲林山常在寺(じゅりんざんじょうざいじ)。室町時代の宝徳2年(1450)土岐家守護代として権力を持ち、当時事実上美濃を支配していた斎藤妙椿(みょうちん)が建立しました。
ところで斎藤妙椿って誰?調べたけれど理解できない有様で。
長井新左衛門尉と子の斎藤道三が2代にわたり美濃国を制する拠点とした寺です。
後に道三が菩提寺とし、道三以後3代の菩提寺となっています。

この歴史、国盗り物語等を読んだ方でも難しいかもしれません。

長井新左衛門尉は、京都から美濃へやって来た商人出身と言われています。
斎藤道三は、油売りの商人から美濃一国の領主になる典型的な下克上の戦国の梟雄では!?
「六角承禎条書写」によって、美濃の国盗りは道三の代ではなく、その父の長井新左衛門尉を含めた2代によって行われた説が有力になっていることで納得しました。
また、境内に設置されている案内板によって、昭和59年には肯定されていることを知りました。

この寺には国の重要文化財、絹本著色斎藤道三像、絹本著色斎藤義龍像があることで有名で、案内板が設置されています。
国重要文化財
常在寺
絹本著色斎藤道三像
絹本著色斎藤義龍像
昭和50年6月12日指定
鷲林山常在寺は、宝徳2年(1450)土岐氏守護代の斎藤妙椿が、京都妙覚寺世尊院の僧、日範を招いて開設したと言われる。
斎藤道三は、妙覚寺の僧であった父新左衛門尉が美濃国に来て築いた地位を基盤として、斎藤氏を名乗るまで勢力をつけ、さらに土岐氏をも滅ぼして美濃国主となった。道三は常在寺を改築し、寺領として領下、日野、芥見などを与えて保護した。
斎藤義龍は道三の子であるが、やがて父を長良川の戦いに破り美濃国を支配した。
国重要文化財の両像は、絹地に着色して上畳に端座した姿を描いたものである。道三像は傷みが著しく鮮明さを欠いているが、眼光の鋭さに精悍な性格が感じられた武将の気迫がよくあらわされている。本像は道三の娘、織田信長北の方の寄進とされている。義龍像は道三像に比べて傷みが少なく、穏やかな表情の中にも個性が見え、体部の描線には内面的な力強さが感じられる。本像は義龍の子、斎藤竜興の寄進とされている。
昭和59年2月
岐阜市教育委員会

拝観できるという事前情報がありましたが、年末のせいか人の気配がなく退散した次第。
そして岐阜城天守内で、模写を拝見した次第。
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地図はこちら
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by ckk12850 | 2018-05-25 07:00 | 神社仏閣【歴史観光】

主に埼玉県【入間郡&比企郡】の城館跡探訪記です♪


by 左馬助